関ヶ原の戦い

NHK大河ドラマ「どうする家康」松本潤熱演!徳川家康の生涯と名言

徳川家康の銅像




2023(令和5)年の1月~スタート、

NIHK大河ドラマ

「どうする家康」の主人公、


NIHK大河ドラマ初出演の松本潤さん演じる

徳川家康とはどんな人物だったのか?



ちなみに、

2023(令和5)年の1月8日からスタートした、

NIHK大河ドラマ

「どうする家康」には、

超豪華キャストが名を連ねました。
(以下、関係性と役柄で分けてみました。)






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●徳川家康の家族


・徳川家康:松本潤さん



・松平広忠(徳川家康の父):飯田基祐さん



・徳川信康(徳川家康の長男):細田佳央太さん



・亀姫(徳川家康の長女):當真あみさん



・瀬名(徳川家康の正室):有森架純さん



・お葉(徳川家康の初めての側室):北香那さん



・お万(徳川家康の心に入り込む、神秘的な女性):松井玲奈さん



・於愛の方(激動期の徳川家康を支えた側室):広瀬アリスさん



・五徳(徳川家に嫁いだ、信長の娘):久保史緒里さん












●徳川家康の家臣

・鳥居忠吉:イッセー尾形さん



・榊原康政:杉野遥亮さん



・酒井忠次:大森南朋さん



本多忠勝:山田裕貴さん



・井伊直政:板垣李光人さん



服部半蔵:山田孝之さん



・石川数正:松重 豊さん



・大久保忠世:小手伸也さん



・鳥居元忠:音尾琢真さん



・本田忠真:波岡一喜さん



・本田正信:松山ケンイチさん



・渡辺守綱:木村 昴さん



・大鼠:千葉哲也さん



・女大鼠:松本まりかさん



・登与:猫背 椿さん



・夏目広次:甲本雅裕さん



・平岩親吉:岡部 大さん












●織田信長の家族、家臣

・織田信長:岡田准一さん


・織田信秀(織田信長の父):藤岡 弘さん



・お市(織田信長の妹):北川景子さん



・豊臣秀吉:ムロツヨシさん



・柴田勝家:吉原光夫さん



・佐久間信盛:立川談春さん



・明智光秀:酒向 芳さん












●今川義元の家族、家臣

・今川義元:野村萬斎さん



・巴(徳川家康の正室となった瀬名の母):真矢ミキさん



・今川氏真(今川義元の嫡男):溝端淳平さん



・糸(今川氏真の正室):志田未来さん



・鵜殿長照:野間口 徹さん



・お田鶴(鵜殿長照の妹):関水 渚さん



・関口氏純:渡部篤郎さん



・たね:豊嶋 花さん












●武田信玄の家族、家臣


・武田信玄:阿部寛さん



・武田勝頼(武田信玄の後継者):眞栄田郷敦さん



・山県昌景:橋本さとしさん



・穴山梅雪:田辺誠一さん






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●その他

・於大の方(徳川家康の母):松嶋菜々子さん



・久松長家(徳川家康の母、於大の方の再婚相手):リリー・フランキーさん



・松平昌久:角田晃広さん



・水野信元:寺島 進さん



・茶屋四郎次郎:中村勘九郎さん



・千代:古川琴音さん



・空誓上人:市川右團次さん



・登譽上人:里見浩太朗さん












また、

松本潤が放送に先立ち

22年1月10日 日本経済新聞の取材に対し、

意気込みなどを語っています。


徳川家康と言えば、

老練な「タヌキおやじ」のイメージですが、

今回の家康は「か弱きプリンス」





今川家の人質という立場から、

織田信長や武田信玄などの強者もいる、

戦国時代。




そんな強者がひしめき合う戦国時代とは、

一つひとつの判断が、生と死の狭間に直結するという、

つまり、究極の選択の連続。



「どうしたらいいんだ」と悩む家康が

どう選択していくのかを見て楽しんで欲しい。

と語っています。



これまで大河ドラマの出演がなかった、

松潤こと、松本潤さんの熱演が

毎週楽しみです。












松潤さん

いろいろなイベントに参加されて、

忙しい日々を送っています。



「三方ケ原の戦いの記念碑」の起工に先立ち、

徳川家康役を演じる松本潤さんと、

徳川家康の正室の瀬名役を務める有村架純さんが、

浜松市の古戦場「犀ケ崖(さいががけ)」で

鍬(くわ)入れを行いました。


負け戦のときに最後列で敵を迎え撃つ「しんがり」を務めたとされる、

本多忠真の石碑を前に松本潤さんと有村架純さんは手を合わせ、

松本潤さんは

「戦(いくさ)がなくなることを目指した

徳川家康公の思いが今なおここに残り、

その思いに多くの人が触れられる場所になってほしい」と

話したそうです。











話をもとに戻しますね。





また、「関ヶ原の戦い」などに勝利し、

徳川氏による日本全域の支配を実現し、

徳川氏264年の江戸幕府の基礎を築いていくまでの過程を

分かりやすく解説させていただきました。











NHK大河ドラマ「どうする家康」の主人公!徳川家康とはどんな人物

岡崎城の写真



1543年

徳川家康は三河国の土豪である

松平氏の第8代当主・松平広忠の嫡男として岡崎城で誕生。

母親は水野忠政の娘・於大(おだい)。



3歳のころ、家康にとって衝撃的なエピソードが起こります。



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大河ドラマ!佐々木小次郎!二刀流!小倉碑文!宮本武蔵の生涯と名言

宮本武蔵をイメージしたシルエット



「巌流島の合戦」で有名な宮本武蔵


29歳まで、

約60回の勝負を行い、

なんと無敗と伝えられています。




その強さの理由とは?




また、

宮本武蔵の代名詞とも言われる「二刀流」




その「二刀流」で

「木刀」を使うことになった理由とは?






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さらに、

宮本武蔵といえば、

やはり佐々木小次郎との対決である、

「巌流島(がんりゅうじま)の決闘」





なんと、

この決闘の行われた時期について

いろいろな説があるだけでなく、

しかも、

9つものシナリオがあり、

今回2つだけ紹介します。




人気の高い、服部半蔵の生涯と名言を

分かりやすく解説させていただきました。




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関ヶ原の戦い後も生存?石田三成との関係?最強!島左近の生涯と名言

島左近が気合いが入っているイメージのイラスト



様々な理由から、

合計6人もの主人に仕えることとなった、

島左近。




6人目の主人、

石田三成に雇われる際の内容に驚きです。




そして、1600年、

「関ヶ原の戦い」の本戦が幕を切って落とされ、

当初は石田三成率いる、

西軍が有利に戦を進めます。






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「関ヶ原の戦い」では、

島左近も自ら陣頭に立ち大活躍、




島左近の戦いぶりは、

徳川方でも有名となり、

『誠に身の毛も立ちて汗の出るなり』と

恐れられたことが、

伝えられています。



しかし、この戦いにより、

61歳でその生涯を閉じることとなります。




そんな、島左近には、

なんと最後の死亡説と生存説で、

それぞれ3つずつあるという、

本当にミステリアスな人物となります。



そんな、ミステリアスな人物、

島左近の生涯と名言を紹介します。




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漫画「花の慶次」で有名に!かぶきもので人気の前田慶次の生涯と名言

漫画の花の慶次で有名になったかぶきもので人気の前田慶次のイメージイラスト



戦国時代「豪快なかぶき者」と伝えられている

ミステリアスな人物で、

近年、人気急上昇中の前田慶次。




理由は定かではありませんが、

1590年以降から、

突然、思いもよらぬ行動をとったり、




京都での浪人生活では、

前田慶次が非常に知的な人物で

あったことが推測される出来事や

その後、仕えることになる、

上杉景勝との出会いのエピソードに加え、




「関ヶ原の戦い」が勃発し、

この期間、上杉景勝に雇われることになり、

上杉景勝との初顔合わせの際の逸話、






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その後、

「関ヶ原の戦い」などを経て、

人生の最期、

亡くなった場所や時期も

2つの説があるという、

本当に最後までミスリアスな人生の、

前田慶次。




そんな、

前田慶次の生涯と名言を

分かりやすく紹介させていただきます。




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楽天の三木谷浩史が子孫!最強!蜻蛉切で有名な本多忠勝の生涯と名言

楽天の三木谷浩史が子孫!最強!蜻蛉切が有名で「一言坂の戦い」で活躍した本多忠勝の銅像




徳川家康にずっと仕え、

なんと!57戦●●の男

実はあの有名な方が、本多忠勝の子孫でした。

そんな、本多忠勝の生涯と名言を紹介します。




1548年、

徳川本家で最も古い家臣である本多氏の長男として、

三河国額田郡蔵前(現在の愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれ、




幼い頃から徳川家康に仕え、




1560年、13歳の時に初陣を果たし、




その後、

数々の戦に参戦します。






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1563年、

三河の国で発生した一向一揆では、

多くの本多一族が、

つまり親戚一同が敵となる中で、

家康側について、勝利に貢献。




1566年、

19歳で旗本先手役に抜擢されて、

54騎を与えられました。




1570年、

織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍との戦いである、

「姉川の戦い」で、

すごい武勇伝が残されています。

正解はのちほど。




そして、1575年、

「長篠の戦い」などにも参戦し、活躍。

これらの度重なる合戦における、

本多忠勝の活躍は、敵味方を問わず賞賛され、



本多忠勝を合戦で見た、

織田信長からは、

「花も実も兼ね備えた武将である」と称えられ、


徳川家康からは「まことに我が家の良将なり」と

褒め称えられます。












そんな本多忠勝が使っていた武器は、

槍(やり)で、

「蜻蛉切(とんぼきり)」と

呼ばれていました。

その名称の逸話などはのちほど、

解説します。




その後、

1584年、羽柴秀吉(豊臣秀吉)陣営と、

織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた

「小牧・長久手の戦い」でも

すごい武勇伝が残されています。

正解はのちほど。



ちなみに、本多忠勝の戦いぶりを見た、

羽柴秀吉(豊臣秀吉)からは、

『日本第一、

 古今独歩(昔から今まで他に並ぶものはいないという意味)の勇士。

 東には、本多忠勝という天下無敵の大将がいる』と

称賛されたと伝えられています。



この称賛ぶりは、三国志で表現すると、

豪傑で有名な「張飛」に例えられる人物かもしれません。












1600年、

「関ヶ原の戦い」では、

もちろん、徳川家康側につき、

従来通り戦闘で大活躍するだけでなく、

徳川家康側につくように

工作活動でも活躍します。




これらの功績により、

1601年、

伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)10万石を与えられ、

本多忠勝は東海道宿場の整備などを行い、

桑名藩創設の名君として尊敬されました。




その後、1610年、

その桑名の地において、

63歳でその生涯を閉じることとなりました。











江戸幕府の創業に貢献したとされる「徳川四天王」の1人、

江戸幕府の創業に功績を残したとされる「徳川十六神将」の1人、

徳川家に特に貢献し功績が大きかったとされる「徳川三傑」の1人、




本多忠勝の活躍なくして、

江戸幕府の創業はなかったとも思える、




そんな、

本多忠勝の生涯を分かりやすく、

解説させていただきました。





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