男気あふれるエピソードがいっぱい!イケメン白洲次郎の生涯と名言!

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白洲次郎が夕日の先に未来を見るイメージ写真



「カッコイイ男性 戦後」とググると、

『白洲次郎』という名前が、1番上に出てきました。(2020年8月現在)



調べれば調べるほど、

男気あふれるエピソードがいっぱいで、

魅力的な人物、白洲次郎の生涯と名言を紹介します。




裕福な家庭の家に生まれ、

頭も良く、背も高い。

しかも、学生時代から、

アメ車に乗り、

あの有名な歌劇団の生徒と付き合ったりと、

もう本当にうらやましい限りですね。




英語との接点は?




戦前、前後にどんな活躍をしたの?




そんな、白洲次郎を

分かりやすく解説させていただきました。




最後に、

白洲次郎が、日本で初めて

●●●●を履いた人物だったようです。

初めて知りました。

正解はのちほど。

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イケメンで有名な白洲次郎とは一体どんな人物?驚きの逸話がいっぱい

白洲次郎が生まれた芦屋市のイメージ写真



1902年生まれ。

兵庫県武庫郡精道村(現在の芦屋市)に、

貿易商を営む裕福な家の次男として、生まれます。




その後、

1914年、旧制第一神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)に入学。

ちなみにこの学校は、兵庫県下では2番目に古く、

戦前、「一中御三家」の1つと称されるほどの超名門の学校のようです。




突然ですが、

ここで、本やドラマでいう裕福な家庭といえば?の

ベタなあるものが登場します。




なんだと思いますか?




そうです。

「車」が登場します!!




白洲次郎、なんと

父親からアメリカ車のペイジ・オートモビルという車を買ってもらったようで、

友達を同乗させている写真が残っているとのことです。

すごいですね。




白洲次郎は、

頭もいい、しかもお金持ち!!

天は2物を与えずという言葉がありますが、

さすがに3物はないだろうということで、

身長を調べてみると、




185cm

3物ありますね(笑)




ちなみに、白洲次郎が生きた時代で、

日本人の身長を調べてみると、

明治時代(1868年~1912年)の調査で、

17歳の男性の平均は157cm、


大正時代(1912年~1926年)の調査で、

17歳の男性の平均は160cm、


現代では、

17歳の男性の平均が約171cm、

なので、



頭もいい、しかもお金持ち!!

さらに、背が高い!!!

うらやましいですね。




そんな男性を世の中が、

ほっとくわけがないですね。

神戸一中時代には、

なんとあの、

宝塚歌劇団の生徒と付き合っていたようです。




話が脱線しましたね(笑)

元に戻します。




白洲次郎には、お父さんに買ってもらったアメ車以外に

英語との接点がどこにもないじゃん!

と勘の良いあなた、

ありました、ありましたよ!




なんと、白洲次郎の祖父、白洲退蔵は、

キリスト教伝道系学校である、「神戸女学院の創立」に関わったこともあり、

白洲家は外国人女性教師の宿舎の役割を担っていたようで、

ここでネイティブな英語を自然と学んでいったようです。




神戸一中を卒業後の、白洲次郎は?

その後の人生を追ってみます。

 

英語が堪能でイケメンの白洲次郎!人生を大きく変えられた出来事とは

白洲次郎がイギリスに留学するイメージ写真



1919年

神戸一中を卒業後の、白洲次郎は?

日本にとどまらず、イギリスに留学します。

それも、

世界屈指の名門大学と称される、

「ケンブリッジ大学」です。




その後1925年、

ケンブリッジ大学を卒業後、そのまま大学院へ進学します。



このイギリスでの生活が、

非常に裕福な生活なのです。


年間の仕送り額が、なんと現在の金額にして、

約4000万円。



当然、使い切れるわけもなく、

白洲次郎がとった行動が、


当時、名車中の名車として、人気が高かった、

ベンドレーを購入し、それを乗り回すのです。



「ベンドレーを乗り回す日本人がいる!」と、

イギリス貴族にも注目され、

この行動がのちに、

政治家や財界人との貴重な人脈を作ることにつながっていくのです。


また、この大学生活で、

のちに伯爵となる人物と友達になります。

この友達との付き合いを通じて、

イギリス貴族のライフスタイルを学びました。



代表的なものとして挙げられるのが、


地方に住みながら、中央に目を光らせ、

時流に流されず、自分の考えを身を持って実行するという

「カントリージェントルマン」という考えです。



この学びは、後の

白洲次郎の生き方にも反映されていくのです。




その後、思いもしない出来事が起こり、

帰国を余儀なくされてしまいます。




1928年、白洲次郎の父親が経営していた会社が昭和金融恐慌の影響で、

倒産してしまったのです。




帰国後、

1929年、英字新聞を発行する『ジャパン・アドバタイザー』に就職し、

記者となり、同年に結婚。




その後、

1931年、貿易商を営んでいた、セール・フレイザー商会に勤務し、

取締役となります。

ちなみにこの会社の社長は、ケンブリッジ大学の友達だったようです。




その後、

1937年、日本食糧工業(現在の日本水産)の取締役に就任します。

仕事を通じて、外交官時代の吉田 茂や

政治家の近衞 文麿(このえ ふみまろ)と知り合いになりました。




そして、戦争中の1940年、

東京府南多摩郡鶴川村能ヶ谷(現在の東京都町田市能ヶ谷)の

古い農家を購入し、

その家を武相荘(ぶあいそう)と名付け、

政治や実業から離れて、生活します。



ここで、イギリス留学時代に学んだ、

「カントリージェントルマン」を実行するのです。


ちなみに、武相荘(ぶあいそう)という名前の由来は、

当時の鶴川村が「武蔵国」と「相模国」に

またがっていたために、その地名の頭文字、

一文字ずつからとったと言われています。




その後、終戦を向え、

白洲次郎の英語力が発揮されます。

すごいですよ!!

 

戦後の日本を救う、彼の英語力が炸裂!GHQやマッカーサーもビビる

英語が堪能な白洲次郎が話しているイメージ写真

 

1945年、外務大臣に就任した吉田茂の要望で、

終戦連絡中央事務局の参与に就任します。

ここで、GHQに対して、

白洲次郎の男気あふれるエピソードが。




GHQの要求に対して、白洲は譲れないポイントに関しては、

イギリス仕込みの英語で主張し、

「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたり、

昭和天皇からマッカーサーへクリスマスプレゼントを届けた際に、

「その辺にでも置いてくれ」と言われると、

その場でブチ切れて、

「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴り、

マッカーサーを慌てさせたという逸話も残っています。




その後も、白洲次郎の

男気あふれるエピソードが続きますよ。




1951年、

第二次世界大戦におけるアメリカをはじめとする連合国諸国と

日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約、

覚えてますか?



「サンフランシスコ講和条約」



そのサンフランシスコ講和条約の会議に随行した際に、

外務省の役人が演説の原稿を英語で書き、

それをなんとGHQに確認していただけでなく、

その内容にも激怒し、

急遽、日本語に書き直させました。




こんなこともあり、

当初、吉田茂は英語で演説するつもりでしたが、

日本語で演説することとなったのです。




その後の白洲次郎は、

吉田内閣誕生時に、

吉田茂から『白洲三百人力』と称され、

吉田茂の経済対策を具現化するための原動力として、

貿易庁長官に任命されますが、

嫉妬などに嫌気が差し、退官します。




退官後は、

東北電力の会長や、軽井沢ゴルフ倶楽部の常任理事に就任するだけでなく、



三宅一生からファンションモデルを依頼され、出演したり、

トヨタが開発していた、ソアラという車の

設計顧問として開発を陰で支えるなどし、

1985年 、83歳でその生涯を閉じました。




そんないろいろな側面から、

日本の今の基礎を作ってくれた一人である、

白洲次郎が残してくれた言葉とは?

調べてみました。

ぜひ、元気をいっぱいもらってください。

 


歴史上の人物!英語が堪能な白洲次郎!男気あふれる、白洲次郎の名言

イケメンで有名、しかも数々の驚きのエピソードがいっぱいの白洲次郎の名言を知って、心が晴れ晴れとするイメージ写真



人に好かれようと思って仕事をするな。

 むしろ半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと

 良い仕事はできない。




いま日本でいけないのはすぐ人の脚をひっぱることだね。

 これは大変な奴だと思うと脚をひっぱっちゃう。

 だから日本で何かのトップにゆく奴は、

 毒にも薬にもならない奴が大部分だよ。




われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない。




今の日本の若い人に、一番足りないのは勇気だ。


・反省のない人間ほど、

 使いものになるとは思わない。




・永続性のない様なことはせぬがよい、

 しても無駄だから。




・長く大事に持っているものは、

 人に貰ったものより自分自身の苦心の結晶に限る。




・自分より目下と思える人間には

 親切にしろよ。




・目前の安易主義は、将来の禍のもと。




・6、7年かかってついた癖は、

 そう1年や2年でぬけるものではないです。




・お偉方諸氏もみんな一度は若かったのだ。

 昔の若かった時代のことを

 思い出して見て下さい。

 青年を扱うのに雅量と同情を

 もってして頂きたい。




・すべての物事で大事なのはその事自体より、

 それに掛かり合っている

 原則だということを忘れてはならない。




・人を攻撃するのはその人の前でやるがいい。

 鬼のいないまの洗濯でもあるまいし、

 もっと堂々と闘争はやってもらいたい。




・政治に一人合点は最も危険でもある。




・日本人も日本も欠点だらけらしいが、

 人間も国家も完全ではあり得ない。

 米国もまたその例外ではなかろう。




・運転手を待たしてゴルフする奴なんか、

 ゴルフをする資格はない。




・地位が上がれば役得ではなく

 ”役損”と言うものがあるんだよ。




・金払いはよくしろ、明るくふるまえ、

 特定の女とばかりしゃべるな。

 そして、言い寄られたらノーと言え。




・人様にしかられたくらいで

 引き込むような心臓は、

 持ち合わせがない。




・イギリス人の気持ちが良いことの一つは、

 人間として公平な態度をとることだ。




・このごろのマスコミの論調を

 そのまま世論だと思いめさるな。

 国民はそんなに軽率でもないし、

 一方的でもありません。

 


まとめ

日本で初めてジーンズを履いた白洲次郎のイメージ写真



白洲次郎、

男気あふれるエピソードがいっぱいの、本当に魅力的な人でしたね。




裕福な家庭の家に生まれ、お金持ちだっただけでなく、

頭も良く、

背も高い!

しかも、学生時代に、お父さんに買ってもらったアメ車に乗ったり、

宝塚歌劇団の生徒と付き合ったり、

もう本当にうらやましい限りですね。




英語との接点は、



覚えてますか?



白洲次郎の祖父がキリスト教伝道系学校である、

神戸女学院の創立に関わったこともあり、

白洲家は外国人女性教師の宿舎の役割を担っていたようで、

ここでネイティブな英語を自然と学んでいったようでしたね。




その後、

世界屈指の名門大学と称される、イギリスのケンブリッジ大学に留学し、

卒業後、そのまま大学院へ進学。



年間の仕送り額が、なんと現在の金額にして、

約4000万円というすごい金額だったため、




白洲次郎は、

当時、名車中の名車として、人気が高かった、

ベンドレーを購入し、それを乗り回し、

イギリス貴族にも注目され、

この行動がのちに、

政治家や財界人との貴重な人脈を作ることにつながり、

また、「カントリージェントルマン」という考えを知り、

後の白洲次郎の人生に影響を与えることに

つながりました。




その後、白洲次郎の父親が経営していた

会社が昭和金融恐慌の影響で倒産してしまい、

帰国を余儀なくされてしまいました。




もし、帰国せずにいたら、

歴史が変わっていたかもしれません。




その後、

白洲次郎の男気あふれるエピソードが続きました。




GHQに

「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたり、

天皇陛下からのプレゼントの対応を見て、

マッカーサーを慌てさせたという逸話、

サンフランシスコ講和会議に随行した際の、

外務省の役人に英語から、急遽、日本語に書き直させただけでなく、

吉田茂の演説を英語ではなく、日本語で演説した件など、




『自分だけでなく、日本そのものの方向性や本質をぶらさず、

主張するときは、主張し、達成に向けて、本気で生きる。』

そんな人生が白洲次郎だったのではないかと私は思うし、

そんな生き方が、みんなに元気を与え、

「カッコイイ男性」に選ばれているんだと思います。

あなたはどう感じましたか?




最後に、

白洲次郎が、日本で初めて

ジーンズを履いた人物だったようです。

ご存知したか?





また、白洲次郎をもっと詳しく知りたい方は、

本だけでなく、DVDもありますので、

ぜひ、ご覧ください。





プリンシプルのない日本 (新潮文庫)


白洲次郎 占領を背負った男(上) (講談社文庫)


白洲次郎 占領を背負った男(下) (講談社文庫)


風の男 白洲次郎 (新潮文庫)


白洲次郎 (新価格) [DVD]




さらに、

2022年は白洲次郎生誕120年というタイミングでもあり、

2022年5月11日、

「写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代」が、

小学館から発行されました。


近年発見された白洲次郎の未発表写真を掲載した、

白洲次郎の世界を堪能できるビジュアルブックとのことです。


「写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代」




上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。




次回は、


松下幸之助!松岡修造!大谷翔平!影響を与える中村天風の生涯と名言


という話を紹介します。

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