男気あふれるエピソードがいっぱい!イケメン白洲次郎の生涯と名言!

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白洲次郎が夕日の先に未来を見るイメージ写真



「カッコイイ男性 戦後」とググると、

『白洲次郎』という名前が、1番上に出てきました。(2020年8月現在)



調べれば調べるほど、

男気あふれるエピソードがいっぱいで、

魅力的な人物、白洲次郎の生涯と名言を紹介します。




裕福な家庭の家に生まれ、

頭も良く、背も高い。

しかも、学生時代から、

アメ車に乗り、

あの有名な歌劇団の生徒と付き合ったりと、

もう本当にうらやましい限りですね。




英語との接点は?




戦前、前後にどんな活躍をしたの?




そんな、白洲次郎を

分かりやすく解説させていただきました。




最後に、

白洲次郎が、日本で初めて

●●●●を履いた人物だったようです。

初めて知りました。

正解はのちほど。

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イケメンで有名な白洲次郎とは一体どんな人物?驚きの逸話がいっぱい

白洲次郎が生まれた芦屋市のイメージ写真



1902年生まれ。

兵庫県武庫郡精道村(現在の芦屋市)に、

貿易商を営む裕福な家の次男として、生まれます。




その後、

1914年、旧制第一神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)に入学。

ちなみにこの学校は、兵庫県下では2番目に古く、

戦前、「一中御三家」の1つと称されるほどの超名門の学校のようです。




突然ですが、

ここで、本やドラマでいう裕福な家庭といえば?の

ベタなあるものが登場します。




なんだと思いますか?




そうです。

「車」が登場します!!




白洲次郎、なんと

父親からアメリカ車のペイジ・オートモビルという車を買ってもらったようで、

友達を同乗させている写真が残っているとのことです。

すごいですね。




白洲次郎は、

頭もいい、しかもお金持ち!!

天は2物を与えずという言葉がありますが、

さすがに3物はないだろうということで、

身長を調べてみると、




185cm

3物ありますね(笑)




ちなみに、白洲次郎が生きた時代で、

日本人の身長を調べてみると、

明治時代(1868年~1912年)の調査で、

17歳の男性の平均は157cm、


大正時代(1912年~1926年)の調査で、

17歳の男性の平均は160cm、


現代では、

17歳の男性の平均が約171cm、

なので、



頭もいい、しかもお金持ち!!

さらに、背が高い!!!

うらやましいですね。




そんな男性を世の中が、

ほっとくわけがないですね。

神戸一中時代には、

なんとあの、

宝塚歌劇団の生徒と付き合っていたようです。




話が脱線しましたね(笑)

元に戻します。




白洲次郎には、お父さんに買ってもらったアメ車以外に

英語との接点がどこにもないじゃん!

と勘の良いあなた、

ありました、ありましたよ!




なんと、白洲次郎の祖父、白洲退蔵は、

キリスト教伝道系学校である、「神戸女学院の創立」に関わったこともあり、

白洲家は外国人女性教師の宿舎の役割を担っていたようで、

ここでネイティブな英語を自然と学んでいったようです。




神戸一中を卒業後の、白洲次郎は?

その後の人生を追ってみます。

 

英語が堪能でイケメンの白洲次郎!人生を大きく変えられた出来事とは

白洲次郎がイギリスに留学するイメージ写真



1919年

神戸一中を卒業後の、白洲次郎は?

日本にとどまらず、イギリスに留学します。

それも、

世界屈指の名門大学と称される、

「ケンブリッジ大学」です。




その後1925年、

ケンブリッジ大学を卒業後、そのまま大学院へ進学します。



このイギリスでの生活が、

非常に裕福な生活なのです。


年間の仕送り額が、なんと現在の金額にして、

約4000万円。



当然、使い切れるわけもなく、

白洲次郎がとった行動が、


当時、名車中の名車として、人気が高かった、

ベンドレーを購入し、それを乗り回すのです。



「ベンドレーを乗り回す日本人がいる!」と、

イギリス貴族にも注目され、

この行動がのちに、

政治家や財界人との貴重な人脈を作ることにつながっていくのです。


また、この大学生活で、

のちに伯爵となる人物と友達になります。

この友達との付き合いを通じて、

イギリス貴族のライフスタイルを学びました。



代表的なものとして挙げられるのが、


地方に住みながら、中央に目を光らせ、

時流に流されず、自分の考えを身を持って実行するという

「カントリージェントルマン」という考えです。



この学びは、後の

白洲次郎の生き方にも反映されていくのです。




その後、思いもしない出来事が起こり、

帰国を余儀なくされてしまいます。




1928年、白洲次郎の父親が経営していた会社が昭和金融恐慌の影響で、

倒産してしまったのです。




帰国後、

1929年、英字新聞を発行する『ジャパン・アドバタイザー』に就職し、

記者となり、同年に結婚。




その後、

1931年、貿易商を営んでいた、セール・フレイザー商会に勤務し、

取締役となります。

ちなみにこの会社の社長は、ケンブリッジ大学の友達だったようです。




その後、

1937年、日本食糧工業(現在の日本水産)の取締役に就任します。

仕事を通じて、外交官時代の吉田 茂や

政治家の近衞 文麿(このえ ふみまろ)と知り合いになりました。




そして、戦争中の1940年、

東京府南多摩郡鶴川村能ヶ谷(現在の東京都町田市能ヶ谷)の

古い農家を購入し、

その家を武相荘(ぶあいそう)と名付け、

政治や実業から離れて、生活します。



ここで、イギリス留学時代に学んだ、

「カントリージェントルマン」を実行するのです。


ちなみに、武相荘(ぶあいそう)という名前の由来は、

当時の鶴川村が「武蔵国」と「相模国」に

またがっていたために、その地名の頭文字、

一文字ずつからとったと言われています。




その後、終戦を向え、

白洲次郎の英語力が発揮されます。

すごいですよ!!

 

戦後の日本を救う、彼の英語力が炸裂!GHQやマッカーサーもビビる

英語が堪能な白洲次郎が話しているイメージ写真

 

1945年、外務大臣に就任した吉田茂の要望で、

終戦連絡中央事務局の参与に就任します。

ここで、GHQに対して、

白洲次郎の男気あふれるエピソードが。




GHQの要求に対して、白洲は譲れないポイントに関しては、

イギリス仕込みの英語で主張し、

「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたり、

昭和天皇からマッカーサーへクリスマスプレゼントを届けた際に、

「その辺にでも置いてくれ」と言われると、

その場でブチ切れて、

「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴り、

マッカーサーを慌てさせたという逸話も残っています。




その後も、白洲次郎の

男気あふれるエピソードが続きますよ。




1951年、

第二次世界大戦におけるアメリカをはじめとする連合国諸国と

日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約、

覚えてますか?



「サンフランシスコ講和条約」



そのサンフランシスコ講和条約の会議に随行した際に、

外務省の役人が演説の原稿を英語で書き、

それをなんとGHQに確認していただけでなく、

その内容にも激怒し、

急遽、日本語に書き直させました。




こんなこともあり、

当初、吉田茂は英語で演説するつもりでしたが、

日本語で演説することとなったのです。




その後の白洲次郎は、

吉田内閣誕生時に、

吉田茂から『白洲三百人力』と称され、

吉田茂の経済対策を具現化するための原動力として、

貿易庁長官に任命されますが、

嫉妬などに嫌気が差し、退官します。




退官後は、

東北電力の会長や、軽井沢ゴルフ倶楽部の常任理事に就任するだけでなく、



三宅一生からファンションモデルを依頼され、出演したり、

トヨタが開発していた、ソアラという車の

設計顧問として開発を陰で支えるなどし、

1985年 、83歳でその生涯を閉じました。




こんな魅力あふれる、

白洲次郎の奥さんとは、

いったいどんな方だったのか、

調べてみました。


白洲次郎の奥さん、白洲正子とはいったいどんな人物だったのか?

白洲正子のイメージ写真




1910年

東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)に、

樺山伯爵家の次女として誕生




1914年

能を習い始め




1924年

能を学び続け、

舞台にも出演できるほどの腕前を上げます。



また、この年にアメリカへ留学




1928年

19歳で日本へ帰国後、

8歳上の白洲次郎に出会い、一目ぼれ




1929年

白洲次郎と結婚




その後、執筆活動をスタートし、

随筆家の道へ進みます。




75歳のときに、

夫の白洲次郎が他界




1997年

町田市名誉市民に選ばれ




1998年

88歳でその生涯を閉じました。



想像通り、立派な方でした。




ステキな奥様にも支えられながら、

いろいろな側面から、

日本の今の基礎を作ってくれた一人である、

白洲次郎が残してくれた言葉とは?

調べてみました。

ぜひ、元気をいっぱいもらってください。

 


歴史上の人物!英語が堪能な白洲次郎!男気あふれる、白洲次郎の名言

イケメンで有名、しかも数々の驚きのエピソードがいっぱいの白洲次郎の名言を知って、心が晴れ晴れとするイメージ写真

※白洲次郎100の言葉 逆境を乗り越えるための心得 (宝島社)より参照


人に好かれようと思って仕事をするな。

 むしろ半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと

 良い仕事はできねえぞ。




・おまえ、自分ではどう思うんだ?




・熱意だよ。

 日本でも明治維新のときの政治家とか実業家は、

 熱意があったからあれだけの仕事ができたんだね。




いま日本でいけないのはすぐ人の脚をひっぱることだね。

 これは大変な奴だと思うと脚をひっぱっちゃう。

 だから日本で何かのトップにゆく奴は、

 毒にも薬にもならない奴が大部分だよ。




われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない。




・力をつくって

 今に見ているという気迫を

 皆で持とうではないか。




・こんなことに敗けてなるものかという

 気持ちが一番大切。




・日本の若い人に一番足らんのは勇気だ。

 そういったら損をするということばかり考えている。

 自分の思うことを率直に言う勇気が欠けている。


・反省のない人間ほど、

 使いものになるとは思わない。




・永続性のない様なことはせぬがよい、

 しても無駄だから。




・長く大事に持っているものは、

 人にもらったものより

 自分自身の苦心の結晶に限る。




・使命が終わればやめるがよろしい。


・自分より目下と思える人間には

 親切にしろよ。




・目前の安易主義は、将来の禍のもと。




・人間の癖でも六、七年かかってついた癖は、

 そう一年や二年でぬけるものではない。




・お偉方諸氏もみんな一度は若かったのだ。

 昔の若かった時代のことを

 思い出して見て下さい。

 青年を扱うのに雅量と同情を

 もってして頂きたい。




・すべての物事で大事なのはその事自体より、

 それに掛かり合っている

 原則だということを忘れてはならない。




・人を攻撃するのはその人の前でやるがいい。

 鬼のいないまの洗濯でもあるまいし、

 もっと堂々と闘争はやってもらいたい。




・政治に一人合点は最も危険でもある。




・重要なのは輸出マインドだ。




・俺は天皇のために働いたのではない。

 国民のために働いたんだ。




・日本人も日本も欠点だらけらしいが、

 人間も国家も完全ではあり得ない。

 米国もまたその例外ではなかろう。




・運転手を待たしてゴルフする奴なんか、

 ゴルフをする資格はない。




・金をもうけるのは一代でできる。

 金を失うのも一代でできる。

 だけど金の使い方を覚えるのは三代かかる。




・人様に、叱られたり、

 とやかく言われたくらいで、

 引っ込む心臓は持ち合わせていない。


・地位が上がるほど、役得ではなく、

 ”役損”が増えることを覚えておけ。




・金払いはよくしろ、明るくふるまえ、

 特定の女とばかりしゃべるな。

 そして、言い寄られたらノーと言え。




・人様にしかられたくらいで

 引き込むような心臓は、

 持ち合わせがない。




・英国において一番気持ちがいいのは、

 身分に関係なく、

 お互い人間的な尊敬を払うことだ。




・皆がいい人だと褒めすぎて

 悪口を言われないような人々は、

 おしなべて馬鹿に限るようだ。

 お釈迦様やキリストのような人物が

 おるのなら

 喜んで例外を認めるが。




・このごろのマスコミの論調を

 そのまま世論だと思いめさるな。

 国民はそんなに軽率でもないし、

 一方的でもありません。




・ようやく戦勝国と対等の立場になれる会議で、

 その晴れの日の原稿を、相手の承諾を得て

 相手国の言葉で書く奴がどこにいるんだ。




・GHQに抵抗らしい抵抗をした

 日本人がいたとすれば、ただ二人。

 一人は吉田茂であり、

 もう一人はこのぼくだ。




・ユー・アー・レイト(遅いぞ)




・我が国の占領が米国による占領であったことは

 最悪中の最善であったとはっきり言える。




・自由競争するからこそ経済は発展する。




・こういう際は、何事も拙速を尊びます。




・占領軍の言いなりになったのではない、

 ということを

 国民に見せるためにあえて極端に行動しているんだ。




・新憲法のプリンシプル(=原理原則)は立派なものである、

 (中略)

 押し付けられようが、そうでなかろうが、

 いいものはいいと

 素直に受け入れるべきではないだろうか。




・事なかれ主義、

 石橋を叩いて渡らん主義は官僚の出世の極意かも知れんが、

 政治家にそれをやられたのでは国民はたまらん。




・日本の大公使が仕事ぶりを非難されると、

 決まって外務省は

 金を充分にくれないからと言う。

 ところが、そういう連中が帰ってくると、

 いつの間にか立派な家を建てているのだ。




・数字だけ帳尻合わせて安心する

 役人根性は捨てるんだ。




・小笠原や沖縄の人たちの気持ちにもなってみろ。




・8月15日以来、

 日本人に面子なんてあるかっていうんだ。




・我々の時代にこの馬鹿な戦争をして、

 元も子もなくした責任を

 もっと強烈に感じようではないか。




・意見を言いたい人は

 堂々と個人の資格で言うべし。

 何とか団体とかいう名にかくれて、

 数をたのんで、

 さも全会員の意志を代表するような顔をして

 やるのはやめてもらいたい。




・民主主義だとか何とか一応は

 一人前に述べ立てることは知っているらしいが、

 一寸したはずみに腹の底はやはり

 昔並みの「危険思想取締法案」を

 絶対支持した性根を暴露する。




・日本も明治維新までの武士階級等は、

 すべての言動は

 本能的にプリンシプル(=原理原則)に

 よらなくてはならいという教育を

 徹底的にたたき込まれたものらしい。




・プリンシプル(=原理原則)のない

 妥協は妥協ではなくて、

 一時しのぎのごまかしに過ぎないのだ。




・西洋人と付き合うには、

 すべての言動にプリンシプル(=原理原則)が

 はっきりしていることは

 絶対に必要である。




・どうも日本人というのは、

 これは日本の教育の欠陥なんだけど、

 物事を考えるときに

 物事の原則っていうことを

 ちっとも考えないんだ。




・日本人はよく、ジイドはこう言った、

 ボオドレエルはこう言ったなんて

 言うけど、

 どうだっていいじゃないか。

 (中略)

 それじゃお前は何だって訊くと、

 何も持ってないんだ。




・何かにしがみつかなければ

 生きていけない根性なら

 神頼みでもして

 鰯の頭でも信心していたほうが

 他人様の迷惑にならんだけ

 ましだろう。




・井戸の中の蛙は大海を知らないという諺が

 あったようだが

 (中略)

 井戸の中にいる自分を、

 井戸の外から眺められることさえできれば、

 用はいくらか足りるような気がする。




・他人様が起こした家事であろうが、

 自分の家で始まった火事であろうが、

 燃えてしまえば只の灰になるだけで、

 (中略)

 なすり合いをやってみたところで、

 灰になってしまえば

 手のつけようがあるはずもない。




・戦争中の八絋一宇とか、

 東亜共栄圏とか一億一心とか、

 問題は少し違うが、

 物の考え方というか生き方というか知らないが、

 およそ複雑なことほど

 簡単に片付けてしまいたいらしい。




・軒は傾き、柱は曲がり

 屋根の一部には火がついているようなときに、

 自分のいる部屋だけよくしようとしたり、

 自分の部屋を広げようとしたりすることの

 無意味を考えないのか。




・昔から弱いものが強いものに抑えつけられるのは、

 悔しいことに間違いはないが、

 何とも仕様がないことだ。

 結局は抑えつけられることがわかっていても、

 事実を素直に言う勇気は持つべきである。




・あの大学はいい大学なんだよな。

 だってあそこを出ただけでは

 何もならないんだから。




・ことは機先を制さなければの。




・あなたの英語も、

 もう少し勉強なされば

 一流になれますよ。




・現在の日本の復興ぶりなどということは、

 クリスマス・ツリーみたいなもので、

 悲しいかな

 あのクリスマス・ツリーには根がない。




・私は「戦後」というものは

 ちょっとやそっとで消失するものだとは思わない。

 前の戦争が厳然たる事実である限り、

 歴史の一頁は永久に残ると考える。




・カサをさしてやった相手が

 手ぶらで金もうけをしたのでは

 さした奴はあまり愉快ではないだろう。




・臭い物は蓋をしないで、

 いつか始末しなきゃならないんだから、

 外へ出したらいいんだ。




・戦争前は日本の全部が自己陶酔だね、一種の。

 初めはちっちゃな嘘なんだ。

 ちっちゃな嘘をついて、それがバレそうになると、

 だんだん嘘を大きくしてゆくんだな。




・アメリカの生産能力をほんとに知っている人が、

 日本の中枢に一人おったら。。。

 一人じゃ弱いだろうけど、三人おったら、

 戦争は起こらなかったよ。




・水利は国家の資源じゃないか。




・どうしたらよくなるか、

 それを工夫してゆくより

 しょうがないじゃないか。

 よくなるとかならんとかいうよりも

 よくするほかに途がないことを

 認識するべきだ。




・ボクは人から、アカデミックな、

 プリミティブ(素朴)な

 正義感をふりまわされるのは困る、と

 よくいわれる。

 しかしボクにはそれが貴いものだと思っている。




・僕はねえ、口が堅いから

 ここまで生きてこられたんだ。




・自分自身を反省すべきだと思う。

 私など、この自分の反省の不足に

 毎日毎日悩んでいると正直に白状するが、

 ことさらに産業の経営者には

 この反省が必要だと思う。




・バカな奴は大型車で乗りつけ、

 まず菓子折りを突き出す。

 もっとひどい奴は

 その中に札束を忍ばせる。




・遅い!

 それでは日本が立ち直るのに何年かかる?




・永続性のないようなことはせぬがよい。

 しても無駄だから。




・普通の家庭だって

 いつまでも借金や援助だけではやっていけない。

 (略)

 生活を立て直すにはその分働くしかない。




・一定の教育の過程を通ってきた

 英国人の英語というものには、

 一種のアフェクティション(=格好)があって

 仲々味のあるものだ。




・似顔をかくのに、

 僕を見てかいている人と、

 写真を見てかいている人と、

 両方あるね。

 その違いは僕が見るとハッキリわかるんだ。




・百姓をやっていると、人間というものがいかに

 チッチャなグウタラなもんかということがよくわかる。




・みんな笑って

 本気に誰も取りあってくれないが、

 私は自分は農民の一人だと思っている。




・宇宙は神様が創ったというのなら、

 人間のやることは

 そろそろ人間の縄張りを脱しかけているのでは

 ないだろうか。




・人が困っているときは助けるもんだ。




・本当の友情は

 腹を割り合った仲にのみ生れる。

 相手か好きそうなことばかり言って

 一時的に相手を喜ばして、

 してやったりと思っているなど

 浅はかな極みである。




・君は私にとって霊感の泉であり

 究極の理想だ。

 Masa

 You are the fountain of my

 inspiration and the climax of

 my ideals.




・ネクタイをせずに失礼。




・夫婦円満のコツは一緒にいないことだよ。




・君は僕をずいぶん我慢強い男だと思っただろう。

 あの婆さんと僕は今まで付き合ってきたんだよ。




・英国では娘の亭主のことを

 seven years enemy

 と言うんだ。




・上等なパリ生活を楽しんで来い。

 ただし国際結婚だけは断じてダメだ。

 バテレンと天気予報士も

 嘘をつくからダメだ。




・オフサイドはしてねぇだろうな。




・そんなものは亭主に払わせろ。




・東大に行け。

 そして役人か銀行員になれ。




・相撲も千秋楽、パパも千秋楽。




・死んだら腐るということだ。




・右利きです。でも、夜は左。




・葬式無用

 戒名不用




・カントリー倶楽部は会員が楽しむためにある。

 そうでないものは帰ってもらう。




・メンバーに言っておけ。

 本妻よりも、妾の方が金がかかる

 というのがわからないのか。




・車の運転を始めるのは、

 早ければ早いほどいい。




・若い奴をぶっちぎってやった。




・No Substituteな車を目指せ。




・サッカーは

 Rough men play gently

 ラグビーは

 Gentlemen play roughlyだ。

 その違いがわかるか。




・スキーに行っても

 ガツガツ滑るもんじゃない。




・君、そんな格好で会社に行っても大丈夫なのか。




・あいつは新しい服を着ていると

 思われるのが嫌で、

 同じものを1ダースつくっているのさ。

 それを毎日取り替えるから、

 いつでもちゃんとしているんだ。




・オーバードレスと

 アンダードレスに気をつけろ。




・ツイードなんてあんなものはね、

 買ってすぐ着るもんじゃないよ。

 3年ぐらい軒下に干したり、

 雨ざらしにして、

 くたびれたころに着るんだよ。




・水なんかで割ったら、

 せっかくの味が台無しだ。




・君らも立派な知識人だろ、

 もっと上品にたしなみたまえよ。




・イギリスには日本と同じように

 名もなきうまい地酒が

 たくさんあるんだよ。




・Bar is open

 さぁ、バーガ開くよ。

 


まとめ

日本で初めてジーンズを履いた白洲次郎のイメージ写真



白洲次郎、

男気あふれるエピソードがいっぱいの、本当に魅力的な人でしたね。




裕福な家庭の家に生まれ、お金持ちだっただけでなく、

頭も良く、

背も高い!

しかも、学生時代に、お父さんに買ってもらったアメ車に乗ったり、

宝塚歌劇団の生徒と付き合ったり、

もう本当にうらやましい限りですね。




英語との接点は、



覚えてますか?



白洲次郎の祖父がキリスト教伝道系学校である、

神戸女学院の創立に関わったこともあり、

白洲家は外国人女性教師の宿舎の役割を担っていたようで、

ここでネイティブな英語を自然と学んでいったようでしたね。




その後、

世界屈指の名門大学と称される、イギリスのケンブリッジ大学に留学し、

卒業後、そのまま大学院へ進学。



年間の仕送り額が、なんと現在の金額にして、

約4000万円というすごい金額だったため、




白洲次郎は、

当時、名車中の名車として、人気が高かった、

ベンドレーを購入し、それを乗り回し、

イギリス貴族にも注目され、

この行動がのちに、

政治家や財界人との貴重な人脈を作ることにつながり、

また、「カントリージェントルマン」という考えを知り、

後の白洲次郎の人生に影響を与えることに

つながりました。




その後、白洲次郎の父親が経営していた

会社が昭和金融恐慌の影響で倒産してしまい、

帰国を余儀なくされてしまいました。




もし、帰国せずにいたら、

歴史が変わっていたかもしれません。




その後、

白洲次郎の男気あふれるエピソードが続きました。




GHQに

「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたり、

天皇陛下からのプレゼントの対応を見て、

マッカーサーを慌てさせたという逸話、

サンフランシスコ講和会議に随行した際の、

外務省の役人に英語から、急遽、日本語に書き直させただけでなく、

吉田茂の演説を英語ではなく、日本語で演説した件など、




『自分だけでなく、日本そのものの方向性や本質をぶらさず、

主張するときは、主張し、達成に向けて、本気で生きる。』

そんな人生が白洲次郎だったのではないかと私は思うし、

そんな生き方が、みんなに元気を与え、

「カッコイイ男性」に選ばれているんだと思います。

あなたはどう感じましたか?




最後に、

白洲次郎が、日本で初めて

ジーンズを履いた人物だったようです。

ご存知したか?





また、白洲次郎をもっと詳しく知りたい方は、

本だけでなく、DVDもありますので、

ぜひ、ご覧ください。





プリンシプルのない日本 (新潮文庫)


白洲次郎 占領を背負った男(上) (講談社文庫)


白洲次郎 占領を背負った男(下) (講談社文庫)


風の男 白洲次郎 (新潮文庫)


白洲次郎 (新価格) [DVD]




さらに、

2022年は白洲次郎生誕120年というタイミングでもあり、

2022年5月11日、

「写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代」が、

小学館から発行されました。


近年発見された白洲次郎の未発表写真を掲載した、

白洲次郎の世界を堪能できるビジュアルブックとのことです。


「写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代」




上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。




次回は、


松下幸之助!松岡修造!大谷翔平!影響を与える中村天風の生涯と名言


という話を紹介します。

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