NHK大河ドラマ「どうする家康」松本潤熱演!徳川家康の生涯と名言

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徳川家康の銅像



2023(令和5)年の1月~スタート、

NIHK大河ドラマ

「どうする家康」の主人公、

NIHK大河ドラマ初出演の松本潤さん演じる

徳川家康とはどんな人物だったのか?


ちなみに、

2023(令和5)年の1月~スタート、

NIHK大河ドラマ

「どうする家康」に関する情報が、2021年1月の制作発表以来の

2021年11月29日に、

遂に新キャストが明らかになり、

超豪華キャストが名を連ねました。
(以下、役柄を記載しました。)



・徳川家康:松本潤さん


・織田信長:岡田准一さん


・徳川家康の正室、瀬名:有森架純さん


・豊臣秀吉:ムロツヨシさん


・今川義元:野村萬斎さん


・武田信玄役:阿部寛さん




話をもとに戻しますね。


また、「関ヶ原の戦い」などに勝利し、

徳川氏による日本全域の支配を実現し、

徳川氏264年の江戸幕府の基礎を築いていくまでの過程を

分かりやすく解説させていただきました。


NHK大河ドラマ「どうする家康」の主人公!徳川家康とはどんな人物

岡崎城の写真



1543年

徳川家康は三河国の土豪である

松平氏の第8代当主・松平広忠の嫡男として岡崎城で誕生。

母親は水野忠政の娘・於大(おだい)。



3歳のころ、家康にとって衝撃的なエピソードが起こります。

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なんと、母親の父親である、水野忠政が亡くなった後に、

水野氏の当主となったのは、母親の兄、水野信元。

この母親の兄、水野信元が、

尾張国の織田氏と同盟を結びます。



当時、織田氏と敵対する駿河国の今川氏に守ってもらっていた、

徳川家康の父親、松平広忠は、

奥さんであった於大(おだい)と離縁することになります。



これにより、

徳川家康は当時3歳にして母と生き別れになってしまうのです。



1547年

徳川家康は6歳のときに、

今川氏への人質として駿府(現在の静岡市葵区)へ送られることになります。



ところが、

駿府(現在の静岡市葵区)への護送の途中に立ち寄った田原城で、

義母の父・戸田康光の裏切りによって、

なんと尾張国の織田信秀へ送られてしまうのです。



このような状況においても、

徳川家康の父、松平広忠は今川氏への従属を貫いたため、

徳川家康は人質として、

なんと2年間も尾張国で過ごすことになるのです。



この2年後に

徳川家康の父、松平広忠が亡くなった際に、

今川義元は織田信広との人質交換によって、徳川家康を取り戻します。

徳川家康は、墓参りのためと称して岡崎城に帰ることができたのです。



1560年

あの「桶狭間の戦い」において、先鋒を任されるも、

今川義元が織田信長に討たれたのち、

故郷の岡崎城に入り、今川氏からの独立を果たそうとします。



1561年

先に今川氏を見限り織田氏と同盟を結んだ伯父・水野信元の仲介もあって、

織田信長と和睦し、今川氏と断交して信長と同盟を結んだ、

あの「清洲同盟」が結ばれます。

同年4月今川氏との戦いが開始されます。



翌年1562年

徳川家康と織田信長が直接会談し、同盟の確認と関係を強化しました。



1564年

「三河一向一揆」が勃発するも、なんとかこの一揆の鎮圧に成功します。

この一揆の鎮圧を機に、

徳川家康は周辺の不安要素を取り除くことに成功すると、

今川氏への戦いに専念することができるようになります。



そして、

1566年までには、

三河国を統一することに成功するのです。

 

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有名な「三方ヶ原の戦い」!武田信玄!織田信長!との死闘エピソード

三方ヶ原の戦いの敗戦を忘れないようにと徳川家康が描かせたとされるしかみ姿の銅像



1568年

織田信長が室町幕府13代将軍・足利義輝の弟・義昭を奉じて

上洛の途につくと、

徳川家康は左京大夫に任命されます。



同年12月

甲斐国の武田信玄が今川領駿河への侵攻を開始。



その際に、

徳川家康は大井川を境に、

東の駿河国を武田領、西の遠江国を徳川領とする協定を条件として、

武田氏と同盟を結ぶも、



1569年

武田軍による遠江国への侵攻を受け、武田氏との同盟は破談となります。



同年5月

今川氏真の掛川城を攻囲し、籠城戦の末に開城勧告を呼びかけで、

今川氏真を降伏させ、

ついに遠江国を支配下に置くことに成功します。



1570年

岡崎から遠江国の曳馬(ひくま・現在の浜松市中区)に移り、

ここを浜松と改名し、浜松城を築いてこれを本城としました。



その後、

織田信長と朝倉義景との「金ヶ崎の戦い」に参戦したほか、

織田信長と朝倉義景・浅井長政連合軍との「姉川の戦い」にも参戦し、

織田信長を助けていきつつ、

徳川家康は北条氏と協調して武田領を攻撃していましたが、



1571年

武田氏は、北条氏との同盟を回復すると駿河今川領を確保。



また、この時期に、

織田信長と仲が悪くなった、

将軍の足利義昭が武田信玄、朝倉義景、浅井長政、石山本願寺ら

反織田勢力を1つにまとめて「信長包囲網」を企てた際、

徳川家康にも副将軍への就任を要請し協力を求めますが、

徳川家康はこれを無視し、織田信長との同盟関係を維持します。



1572年

10月に、ついに武田氏が徳川領である遠江国・三河国への侵攻を開始した、

「三方ヶ原の戦い」(みかたがはらのたたかい)がはじまり、

徳川軍はいきなり苦戦します。



そのような状況の中、

織田信長から佐久間信盛(さくまのぶもり)、平手汎秀(ひらてひろひで)

率いる援軍が到着します。



その後、

武田軍が徳川家康がいる浜松城へ近づきつつありましたが、

浜松城を素通りして三河国に侵攻するかのような動きをとります。

この状況を見た、徳川家康は、佐久間信盛(さくまのぶもり)らが

籠城作戦を唱えるも反対し、武田軍を追撃します。



しかし、それは武田軍の罠だったのです。



結果、徳川家康は、

鳥居忠広、成瀬正義といった大事な家臣をはじめ

1,000人以上の死傷者を出すだけでなく、



織田軍の援軍として駆けつけた、

平手汎秀(ひらてひろひで)も戦死するなど、

徳川・織田連合軍は惨敗してしまうのです。



この戦いにおいて、徳川家康は夏目吉信に代表されるように、

身代わりとなった家臣に助けられて

命からがら浜松城に逃げ帰ったと伝えられています。



ここで小学生の頃に学んだ、

「三方ヶ原の戦いでの敗戦直後の姿」という

徳川家康の異様な容貌・姿態を描いた絵が有名ですね。



「徳川家康が、自身の慢心を戒めるために自身の姿を描かせ、

 自戒のために座右に置いた」という逸話が、

家康の人間性をよく表しているとされていて、

「失敗を真摯に反省することが次の成功につながる」という

人生観が現代の日本人の共感を呼んでいますね。



その後、勢いづいた武田軍により劣勢な状態が続きますが、

武田信玄の突然の死去により撤退します。



あのまま武田信玄が亡くなっていなかったら、

歴史が大きく変わっていたかもしれませんね。

 

本能寺の変!伊賀越え!大きな試練を乗り越え、ついに江戸幕府の誕生

徳川家の家紋のイメージ写真



1582年

徳川家康が堺(現在の大阪)を遊覧中に、

京(現在の京都)で本能寺の変が起こります。



このとき、徳川家康のお供は少人数であったため極めて危険な状態となり、

徳川家康は一時はパニック状態に陥り、

織田信長の後を追おうとするほど危険な状態であったと伝えられています。



ところが、

本多忠勝に説得されて心を入れ替え、

また服部半蔵の提案を受け、

伊賀国の険しい山道を越え、伊勢国から海路で三河国に戻るという作戦、

「伊賀越え」を決行し、なんとか生き延びるのです。



その後は、「関ヶ原の戦い」になどに勝利し、

徳川家康は天下人となり、

徳川氏による日本全域の支配を実現し、

徳川氏264年の江戸幕府を基礎を築いていくのです。



1616年

徳川家康は駿府城において75歳でその生涯を終えることになりました。



●小説

 ・司馬遼太郎「関ヶ原」



●映画

 ・1919年、日活、尾上松之助出演、『徳川家康』



●テレビドラマ

 ・1988年

  TBS大型時代劇スペシャル、松方弘樹出演、『徳川家康』


 ・2000年

  NHK大河ドラマ、津川雅彦主演、『葵 徳川三代』


 ・2008年

  テレビ朝日、松平健出演、『徳川家康と三人の女』


 ・2023年

  NHK大河ドラマ、松本潤出演、『どうする家康』



など、



さらに、

2023(令和5)年の1月~スタート、

NIHK大河ドラマ

「どうする家康」に関する情報が、2021年1月の制作発表以来の

2021年11月29日に、

遂に新キャストが明らかになり、

超豪華キャストが名を連ねました。
(以下、役柄を記載しました。)



・徳川家康:松本潤さん


・織田信長:岡田准一さん


・徳川家康の正室、瀬名:有森架純さん


・豊臣秀吉:ムロツヨシさん


・今川義元:野村萬斎さん


・武田信玄役:阿部寛さん



今からすごく楽しみですね。


また、徳川家康をもっと詳しく知りたい方は、

マンガやDVDもありますので、

ぜひ、読んで見てください。




学研まんが NEW日本の伝記3 徳川家康 江戸幕府を開いた将軍


徳川家康 (ちくま新書)


徳川家康 (人物叢書)


徳川家康 全26巻合本版 (山岡荘八歴史文庫)


大河ドラマ 徳川家康 完全版 第弐集 DVD-BOX 全6枚【NHKスクエア限定商品】




数々の作品にも取り上げられる、

天下人、徳川家康の名言をピックアップしてみました。

ぜひ、元気をいっぱいもらってください。


 

NHK大河ドラマ「どうする家康」松本潤が熱演する!徳川家康の名言

浜松城にある若き日の徳川家康の銅像



・不自由を、常と思えば、不足なし。

 心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。



・人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。

 急ぐべからず。



・人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。

 七文字で言えば「身のほどを知れ」。



・天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。



・愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。

 でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。



・大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、

 なるべく穏便にすますようにせよ。



・願いが正しければ、時至れば必ず成就する。



・滅びる原因は、自らの内にある。



・勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。



・人は負けることを知りて、人より勝れり。



・世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。



・堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。



・戦いでは強い者が勝つ。

 辛抱の強い者が。



・決断は、実のところそんなに難しいことではない。

 難しいのはその前の熟慮である。



・及ばざるは過ぎたるより勝れり。



・いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。



・己を責めて、人を責むるな。



・得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。



・多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。



ん~、心に響きますね。

 

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まとめ

江戸城跡地で現在の皇居



徳川家康の生涯を振り返ってみましょう。



・徳川家康は当時3歳にして母と生き別れになってしまいました。



・人質生活が長く続きました。



・織田信長との同盟関係が長く続きました。



・武田氏との戦いで自分の戦術ミスにより、

 多くの部下を亡くしてしまった

 「三方ヶ原の戦い」(みかたがはらのたたかい)の

 失敗を真摯に反省し、次につなげるために、

 「三方ヶ原の戦いでの敗戦直後の姿」という

 徳川家康の異様な容貌・姿態を描いた絵を描かせました。



・本能寺の変が起こった際に、徳川家康は一時はパニック状態に陥り、

 織田信長の後を追おうとするほど危険な状態であったと伝えられていますが、

 本多忠勝に説得されて心を入れ替え、また服部半蔵の提案を受け、

 伊賀国の険しい山道を越え、伊勢国から海路で三河国に戻るという作戦、

 「伊賀越え」を決行し、なんとか生き延びました。



・「関ヶ原の戦い」になどに勝利し、徳川家康は天下人となり、

 徳川氏による日本全域の支配を実現。

 徳川氏264年の江戸幕府の基礎を築いていきました。


そして、

1616年

徳川家康は駿府城において75歳でその生涯を終えることになりました。


徳川家康が残してくれた言葉、



・不自由を、常と思えば、不足なし。

 心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。



徳川家康が当時3歳にして母と生き別れになったり、

長い人質生活を過ごし、

天下人となった人生から

滲み出てきた言葉だと思いました。



コロナウィルスによって、

今まで当たり前と思っていた、

通勤が在宅に変わったり、

営業や研修スタイルも、

訪問型からテレワーク型などに変わり、

今まで当たり前と思われてきたものが、

突然当たり前にならないことが起こるということを実感し、

良いも悪いも生活スタイルの変化が

半ば強制的に求められることとなりました。



このような状態の中、

今までと同じようなスタイルでは、

実績を出しづらくなり、

生活が厳しくなり、

時代の変化に合わせるような、

柔軟性が必要で、

それは社会人になりたての頃のような、

『謙虚さ、純粋さ、素直さ』を

思い出しながら、行動することが

大事だと思いました。



変わることが普通だと、

そして、つねに学びながら、

日々生活しなければと

改めて再認識しました。

あなたはどう感じましたか?



上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。




次回は、


楽天の三木谷浩史が子孫!最強!蜻蛉切で有名な本多忠勝の生涯と名言


という話を紹介します。

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