2025年NHK大河ドラマ!横浜流星が演じる!蔦屋重三郎の生涯

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蔦屋重三郎と女性が一緒にいることをイメージさせるイラスト




2025(令和7)年の1月~スタート、

NIHK大河ドラマ

「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」(つたじゅうえいがのゆめばなし)




主人公、横浜流星さん演じる

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)とは

どんな人物で、

どんな生涯だったのか?

分かりやすく解説させていただきます。





なお、主人公

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)役を演じる、

横浜流星さんが

23年6月12日、

ボクシングプロテストに合格したことが発表されました。



ボクシングを通じて「生きる」を問う、

『春に散る』という映画に、

横浜流星さんがボクサー役を演じたことが

キッカケになったとのこと。



あらすじを簡単にご紹介すると、

本作の主人公は、

不公平な判定で負けアメリカへ渡り40年振りに帰国した

元ボクサーの広岡仁一役を演じる、佐藤浩一さんと、

偶然飲み屋で出会い

同じく不公平な判定で負け、

心が折れていたボクサーの黒木翔吾役を演じる横浜流星さん




この2人が世界チャンピオンを共に目指し、

命を懸けた戦いの舞台へと挑んでいくという

ストーリーとなるだけでなく、



他にも

山口智子さん、橋本環奈さん、哀川翔さん、

片岡鶴太郎さん、坂東龍汰さん、窪田正孝さんらが

出演する、超豪華なタレントが揃っています。




横浜流星さんが

ボクシングプロテストに合格したことで、

表現できる幅も広がり、

2025(令和7)年の1月~スタート、

NIHK大河ドラマ

「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」(つたじゅうえいがのゆめばなし)が

今から本当に楽しみです。








蔦屋重三郎とはどんな人物で、何をして、どんなエピソードがあるのか

江戸時代の風景をイメージさせるイラスト




1750年

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、

父は丸山重助、母は津与の子どもとして誕生。




父の重助は、

江戸の吉原で遊廓の勤め人だった言われています。




その後、

幼くして両親と生き別れ、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、

喜多川氏の養子になります。




名前の由来である「蔦屋」(つたや)は、

養子となった喜多川氏が経営したと言われいる、

吉原の茶屋のお店の名前と伝えられています。










1773年

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、

吉原大門の前に、貸本屋

耕書堂(こうしょどう)をオープンします。




オープン当初、

鱗形屋 孫兵衛(うろこがたや まごべえ)という

人物が独占していた、

お店ごとの遊女の名を記した

吉原遊廓についての案内書である

「吉原細見(よしわらさいけん)」の

販売、出版に携わり、

これをキッカケに、

出版業に関わっていくことになります。





花魁をイメージしたイラスト




1774年

遊女一人一人の評判を記載した、

遊女評判記「一目千本」を出版




1775年

お店ごとの遊女の名を記した

吉原遊廓についての案内書である、

吉原細見「籬の花」を出版













1780年

黄表紙

を、発行します。




「黄表紙」とは、

江戸の話題や事件を古典のパロディにして

まとめた本のことで、

当時の売れっ子作家である、

朋誠堂 喜三二(ほうせいどう きさんじ)の

出版を手掛けたのを手始めに、

本格的に出版業を拡大します。













次いで、

狂歌本

を、発行します。




「狂歌本」とは、

社会風刺や皮肉、

滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で

構成した諧謔形式の短歌(和歌)を読む、

狂歌師を集めて、

まとめた本のことです。




しかも、

文字だけでなく、

表現力を多彩にするために、

浮世絵の原画(下絵)を描くことを職業とする、

絵師たちも集めています。













さらに、

洒落本

を、発行します。




「洒落本」とは、

遊廓などの遊所のおける、

遊びについての実用的な遊び方に加え、

遊女と客の駆け引きや

野暮な客を面白おかしくまとめた

ガイドブックです。




このように、

それまでにない斬新な企画を

次々とプロデュースし出版、

ヒット作を連発していきます。












その後、

1783年

現代風で言うと、

絵が入った小説本を企画・制作・販売していた、

丸屋 小兵衛(まるや こへえ)の株を買取り

当時、一流の出版社が集まる、

日本橋通油町に移転します。




先ほど紹介した、

・黄表紙




・狂歌本




・洒落本




に加えて、



絵本

内容が絵で描かれている本のこと



錦絵

木の原版によって制作された浮世絵のこと

絵画のジャンルの1つ




など、

新たなジャンルを、

次々に出版するようになります。













さらに、

浮世絵では、

名作『百千鳥』など、

喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)

代表作『初日の出』で有名

栄松斎 長喜(えいしょうさい ちょうき)




約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、

忽然と姿を消した謎の浮世絵師で、

代表作『代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』

東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく)




などを、

育て、世に送り出すだけでなく、


「当世遊里美人合」などの美人画で有名な

鳥居 清長(とりい きよなが)




ゴッホやモネなどの西洋の画家にも

影響を与えたとされている、

「東海道五十三次」で有名な

名所絵(風景画)

歌川 広重(うたがわ ひろしげ)




独自性の際立つ美人画だけでなく、

名所絵(風景画)でも有名で、

歌川広重との合作

「木曽街道六十九次」でも有名な

渓斎 英泉(けいさい えいせん)




これらの名だたる

錦絵の出版も手掛け、

江戸のメディア王へとのし上がるのです。




順風満帆だった、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)に

大ピンチが訪れます。










順風満帆だった、蔦屋重三郎を襲った悲劇とは?

江戸時代の遊女をイメージさせるイラスト




田沼 意次(たぬま おきつぐ)に代わり、

老中となった、

松平 定信(まつだいら さだのぶ) よる、

「寛政の改革」が始まると、




娯楽を含む風紀に関しての

取締りが厳しくなり、




1791年

出版を手掛けていた人物の一人、

山東 京伝(さんとう きょうでん)が、


洒落本・黄表紙



『仕懸文庫』(しかけぶんこ)




『錦の裏』(にしきのうら)




『娼妓絹籭』(しょうぎきぬぶるい)




この3作が摘発を受け、

鉄製の手錠をかけられ、

自宅で謹慎50日という

処罰を受けるだけでなく、




蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)本人も、

義務違反に対して科す金銭罰で、

なんと

財産の半分を没収されてしまいます。












その後、

1794年

東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく)の

役者絵を出版するなどしていましたが、




1797年

48歳でその生涯を終えることになりました。




面倒見がよく、

また、人の才能を見抜く術を心得ていたといわれた、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)




東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく)をはじめ、




『月氷奇縁』は名声を博した、

曲亭 馬琴(きょくてい ばきん)

『東海道中膝栗毛』が大ヒットして、

一躍流行作家となった

十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく)など、




蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)の

世話を受けた人物は数多いとされています。












なお、2代目は番頭であった

勇助が後を継ぎ、




初代、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)同様、

狂歌本を多数出版しました。




1802年

葛飾 北斎(かつしか ほくさい)の

狂歌本

『潮来絶句集』(いたこぜっくしゅう)を

出版すると、

装丁が派手すぎるということで処罰されます。




その後、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)が

立ち上げた

耕書堂(こうしょどう)は、

5代、明治初期まで続きました。













●小説

2016年 著:増田晶文、草思社

『稀代の本屋 蔦屋重三郎』主人公




●映画

1995年 出演:フランキー堺

『写楽』


2021年 出演:阿部寛

『HOKUSAI』





など、

数々の作品にも取り上げられるだけでなく、




レンタルビデオ店

「TUTAYA(ツタヤ)」の創業者で、

現在、

カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社

(略称:CCC)

増田 宗昭(ますだ むねあき)氏が、




店名を決める際、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)の

業績にあやかって命名したものであると

言われています。




現在にも様々なところで影響を与える、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)を

もっと詳しく知りたい方は、

ぜひ、読んで見てください。





文庫 稀代の本屋 蔦屋重三郎 (草思社文庫)


からくり写楽 蔦屋重三郎、最後の賭け (新潮文庫)



蔦屋重三郎新版 (平凡社ライブラリー)


探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人



蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者 (講談社学術文庫)










まとめ

江戸時代の本をイメージさせるイラスト




蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)の

生涯を振り返ってみましょう。




・1750年

 吉原の貧しい庶民の子に生まれます。




・幼くして両親と生き別れ、

 吉原の茶屋を経営していた喜多川氏の養子となります。




・1773年

 吉原大門の前に、貸本屋

 耕書堂(こうしょどう)をオープンします。




・1774年から

 それまでにない斬新な企画を

 次々とプロデュースし出版、

 ヒット作を連発




・1783年

 当時、一流の出版社が集まる、

 日本橋通油町に移転

 東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく)、

 歌川広重(うたがわ ひろしげ)など

 今では名だたる人物を育て、

 世に送り出し、

 江戸のメディア王へとのし上がる




・1791年

 寛政の改革により、

 義務違反に対して科す金銭罰で、

 財産の半分を没収されてしまう




・1797年

 48歳でその生涯を終えることになる






生まれた環境は良くないものの、

行動力、企画力だけでなく、

面倒見がよく、

また人の才能を見抜く術を心得ていた、

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)




「やればできる!」

「やり続ければ、成功する!」と

元気をもらえる人物でした。

あなたはどう感じましたか?




上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。




次回は、


楽天の三木谷浩史が子孫!最強!蜻蛉切で有名な本多忠勝の生涯と名言


という話を紹介します。

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