紙幣に!使節団がカミナリに酷似?子孫に驚き!岩倉具視の生涯と名言

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岩倉具視の500円札写真



日本鉄道(現在のJR東日本)の設立に関わり、

日本の近代化に大きく貢献するだけでなく、

実は『日本初』のタイトルを2つ持っています。

そんな、

岩倉具視(いわくらともみ)とは

いったいどんな人物なのか?




1825年、

公家であった堀河家の次男として京都で生まれ、



13歳の時に、

代々、特に目立った家業もなく、

家計は裕福でなかった、

岩倉家の養子となります。




その後、チャンスをものにし、

公家界のランキング的には低い位置にいた

岩倉具視(いわくらともみ)が、

ある出来事を仕掛けて、

成功し、

どんどん力をつけていきます

その後は驚きの展開が続き、

59歳でその生涯を閉じることとなりました。




ちなみに、

岩倉具視(いわくらともみ)は、

『日本初』のタイトルを2つ持っています。

そのタイトルの紹介はのちほど。






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そんな、

岩倉具視(いわくらともみ)の生涯と名言を

分かりやすく解説させていただきました。




なお、

日本から岩倉使節団が米国に渡ったのが1872年で、

2022年は150年となる節目の年ということもあり、

2022年5月14日、

米ニューヨーク市の中心部にある、

マンハッタンで、

日本文化を紹介するパレードが開かれたようです。



このパレードに先立ち、

人気SFドラマ「スタートレック」などに出演している、

ハリウッドで有名な日系人俳優、ジョージ・タケイが

冒頭に挨拶をするだけでなく、



日本で人気のアニメ「美少女戦士セーラームーン」を

イメージさせるような人が登場したり、

雅楽や太鼓の演奏などもあったようです。

 


 



使節団!紙幣!子孫!大河ドラマ!岩倉具視とはどんな人物で何した人

岩倉具視の公家時代をイメージさせる、現在奈良県にある平城宮跡資料館の写真



岩倉具視(いわくらともみ)は、

1825年、

公家であった堀河家の次男として

京都で生まれます。




1838年、

岩倉家の養子となります。

この岩倉家は代々、特に目立った家業もなく、

家計は裕福でなかったと言われています。




その後、

岩倉具視(いわくらともみ)は、

チャンスをものにします。












当時関白であった、

鷹司政通(たかつかさまさみち)の

和歌の弟子となり、

公家界のランキング的には低い位置にいましたが、

これによりランキングを上げるだけでなく、

29歳で孝明天皇(こうめいてんのう)の近くに

使える役人に出世し、

朝廷で優れた政治力を発揮します。




当時の日本の政治スタイルは、

端的に言うと、

外敵を排除し『天皇を中心』した

国家体制を目指す、「尊王攘夷」派、



朝廷の権威と幕藩体制の改革強化、

つまり『幕府を中心とした』

現状の体制を建て直そうとする

「公武合体」派、




考えが大きく違う、

2つのスタイルに分かれていました。












岩倉具視(いわくらともみ)は、

朝廷の権威と幕藩体制の改革強化、

つまり『幕府を中心とした』

現状の体制を建て直そうとする

「公武合体」派であり、




それを形にするために、

朝廷側である、

仁孝天皇の第8皇女の和宮(かずのみや)と

幕府側である、徳川家茂(とくがわいえもち)の

結婚を実現させるのです。

脱帽する政治力です!!




公家界のランキング的には低い位置にいた

岩倉具視(いわくらともみ)が、

チャンスを生かし、

大きな成果を上げます。


その後、どんな人生を歩んだのかを

解説していきます。

 









紙幣!子孫!使節団がカミナリに酷似と話題!岩倉具視のその後と功績

岩倉具視が日本初の私鉄である日本鉄道(現在のJR東日本)の設立に関わったことをイメージさせる写真



朝廷の権威と幕藩体制の改革強化、

つまり『幕府を中心とした』

現状の体制を建て直そうとする

「公武合体」派で、

岩倉具視(いわくらともみ)が、

着々と組織を固めようとしていた矢先、




ライバル関係であった、

外敵を排除し『天皇を中心』した

国家体制を目指す、

「尊王攘夷」派が、

急速に力をつけ、巻き返しを図り、




なんと、

岩倉具視(いわくらともみ)が

排除されるだけでなく、

信頼を得ていた、

孝明天皇(こうめいてんのう)からも

クビ宣告を受け、

出家をするよう命令されます。




岩倉具視(いわくらともみ)は、

命令通りに、

朝廷から去っていきます。












その後、

京都にある岩倉村というところに、

身を潜めながら

ひっそりと暮らしていきます。




しかし、

政治能力の高さから、

いろいろな人が、

岩倉具視(いわくらともみ)に

意見を求めに

尋ねてきたと言われています。




そんな折、

薩摩の大久保利通(おおくぼとしみち)、

土佐の後藤象二郎(ごとう しょうじろう)、

公家数名のメンバーとともに、

倒幕のために動きます。












そして、ついに

1867年、

江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜が政権を返上した

大政奉還(たいせいほうかん)を実現し、

天皇による政治が行われていた

昔のような政治体制に戻す

「王政復古」(おうせいふっこ)を

成功させます。




その後、

明治新政府が確立され、

1871年、46歳のときに、

岩倉具視(いわくらともみ)をトップとし、

かつて徳川幕府が結んだあの不平等条約、

日米修好通商条約の改正するための、

特命全権大使とした、

岩倉使節団に参加。




約2年間、欧米を視察します。










当初の目的であった、

不平等条約の日米修好通商条約の改正は

結果的にはできませんでしたが、

大きな収穫を得ます。




イギリスでは、

チョコレートやビスケットなどの食料を

大量生産し、

世界各地に輸出するという技術や事実、

またアメリカでは鉄道技術や産業などに驚き、




帰国後は、

日本初の私鉄である

日本鉄道(現在のJR東日本)の

設立に関わるなど、

日本の近代化に大きく貢献することとなります。






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岩倉具視(いわくらともみ)が持つ日本初のタイトル2つ


その後、

岩倉具視(いわくらともみ)は体調を壊し、

1883年、

当時、東京大学医学部教授をしていた

エルヴィン・フォン・ベルツから診察を受け、

癌(がん)告知を受けます。




これがなんと、

記録に残る日本初の癌(がん)告知

なったようです。




その後、

明治天皇からも数回お見舞いを受けるも、

回復するなく、

59歳でその生涯を閉じることとなり、

日本初の国葬が執り行われること

なるのです。












現代では、

●ドラマ

・1968年 NHK大河ドラマ 二谷英明出演

「竜馬がゆく」




・1974年 NHK大河ドラマ 林昭夫出演

「勝海舟」




・1977年 NHK大河ドラマ 西本裕行出演

「花神」




・1982年 テレビ東京12時間超ワイドドラマ 鈴木瑞穂出演

「竜馬がゆく」




・1983年 関西テレビ 島田順司出演

「大奥」




・1987年 日本テレビ年末時代劇スペシャル 佐藤慶出演

「田原坂」




・1990年 NHK大河ドラマ 小林稔侍出演

「翔ぶが如く」




・1990年 日本テレビ年末時代劇スペシャル 原田大二郎出演

「勝海舟」




・1998年 NHK大河ドラマ 寺脇康文出演

「徳川慶喜」




・2004年 テレビ東京新春ワイド時代劇 木下ほうか出演

「竜馬がゆく」




・2004年 NHK大河ドラマ 中村有志出演

「新選組!」




・2008年 NHK大河ドラマ 片岡鶴太郎出演

「篤姫」




・2013年 NHK大河ドラマ 小堺一機出演

「八重の桜」




・2018年 NHK大河ドラマ 笑福亭鶴瓶出演

「西郷どん」




・2021年 NHK大河ドラマ 山内圭哉出演

「青天を衝け」





など、

数々の作品にも取り上げられています。











また、何気なく子孫を調べると、

あの有名な方たちも子孫


でした。




●子ども

・岩倉具定 学習院院長、宮内大臣




・岩倉具義 興福寺僧侶後、南岩倉家を創設し男爵




・岩倉道倶 貴族院議員






●孫

・岩倉具張 貴族院議員




・有馬頼寧 農林大臣、日本中央競馬会理事長




・岩倉具光 大蔵大臣秘書官、京阪神急行電鉄副社長など






●曽孫

・岩倉具栄 岩倉鉄道学校(現・岩倉高等学校)総長




・有馬頼義 直木賞受賞作家




・岩倉具憲 パシフィックホテル社長






●玄孫

・岩倉具房 株式会社ウテナ代表取締役会長




・亀井久興 衆議院議員、国土庁長官




・加山雄三 歌手、俳優。小桜葉子の長男。






●来孫

・亀井亜紀子 参議院議員、元国民新党政策調査会長。




・喜多嶋舞 元女優




・梓真悠子 女優、料理研究家





有名な子孫も多数いる、

岩倉具視をもっと詳しく知りたい方は、

本が多数ありますので、

ぜひ、ご覧ください。











岩倉具視 言葉の皮を剥きながら



日本初の私鉄「日本鉄道」の野望 東北線誕生物語 (交通新聞社新書)



公家たちの幕末維新 ペリー来航から華族誕生へ (中公新書)



維新 岩倉具視外伝



岩倉 具視 幕末維新期の調停者 (日本史リブレット人 74)




時代の大きく動いた、

江戸時代から明治時代への転換期に、

活躍した、

岩倉具視(いわくらともみ)

そんな彼の名言とは?

調べてみました。

ぜひ、元気をいっぱいもらってください。







 

使節団がカミナリに酷似と話題!紙幣!子孫もすごい!岩倉具視の名言

岩倉具視の名言を知り、立ち止まらずに歩んでいくぞ!と心が晴れ晴れとしたイメージ写真



・我が国小なりといえども誠によく上下同心その目的を一にし、

 務めて国力を培養せば、

 宇内に雄飛し万国に対立するの大業甚だ難しきにあらざるべし。



・成敗は天なり、死生は命なり、失敗して死すとも豈後世に恥じんや。



ん~、心に響きますね。

 







まとめ

岩倉具視の生涯と名言を知って心が晴れ晴れとしたイメージ写真



日本初の私鉄である

日本鉄道(現在のJR東日本)の設立に関わるなど、

日本の近代化に大きく貢献することとなった、

岩倉具視(いわくらともみ)

そんな彼の

生涯を振り返ってみましょう。




1825年、

公家であった堀河家の次男として

京都で生まれ、




13歳の時に、

代々、特に目立った家業もなく、

家計は裕福でなかった、

岩倉家の養子となりました。




その後、チャンスをものにします。

公家界のランキング的には低い位置にいた

岩倉具視(いわくらともみ)が、

29歳で孝明天皇(こうめいてんのう)の近くに

使える役人に出世するだけでなく、

朝廷で優れた政治力を発揮しました。




覚えていますか?




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岩倉具視(いわくらともみ)は、

朝廷の権威と幕藩体制の改革強化、

つまり『幕府を中心とした』

現状の体制を建て直そうとする

「公武合体」派であり、

それを形にするために、




朝廷側である、

仁孝天皇の第8皇女の和宮(かずのみや)と

幕府側である、徳川家茂(とくがわいえもち)の

結婚を実現させました。




脱帽する政治力です!!












その後、

ライバル関係であった、

外敵を排除し『天皇を中心』した

国家体制を目指す、「尊王攘夷」派が、

急速に力をつけ、巻き返しを図り、




なんと、




岩倉具視(いわくらともみ)が排除されるだけでなく、

信頼を得ていた、

孝明天皇(こうめいてんのう)からも

クビ宣告を受け、

出家をするよう命令され、

朝廷から去りました。




このとき、

岩倉具視(いわくらともみ)本人は、

まさか!と

思ったのではないでしょうか?













その後、

薩摩の大久保利通(おおくぼとしみち)らと、

倒幕のために動き、成功、

大政奉還(たいせいほうかん)を実現し、

天皇による政治が行われていた

昔のような政治体制に戻す

「王政復古」(おうせいふっこ)を

成功させました。




そして、

明治新政府が確立され、

1871年、46歳のときに、

岩倉具視(いわくらともみ)をトップとした

あの不平等条約、

日米修好通商条約の改正するための、

特命全権大使とした、

岩倉使節団に参加。




約2年間、欧米を視察しました。












当初の目的であった、

不平等条約の日米修好通商条約の改正は

結果的にはできませんでしたが、

大きな収穫を得ました。



覚えてますか?



イギリスでは、

チョコレートやビスケットなどの食料を

大量生産し、

世界各地に輸出するという技術や事実、

またアメリカでは鉄道技術や産業などに驚き、




帰国後は、

日本初の私鉄である

日本鉄道(現在のJR東日本)の

設立に関わるなど、

日本の近代化に大きく貢献することとなりました。












その後、

岩倉具視(いわくらともみ)が体調を壊し、

記録に残る日本初の癌(がん)告知と受け、




明治天皇からも数回お見舞いを受けるも、

回復するなく、

59歳でその生涯を閉じることとなりました。




ちなみに、

日本初の国葬が執り行われ、

岩倉具視(いわくらともみ)は、

『日本初』のタイトルを

2つ持つことになりました。












そんな岩倉具視(いわくらともみ)が

残してくれた言葉で、

自分が好きなのは、




・我が国小なりといえども誠によく上下同心その目的を一にし、

 務めて国力を培養せば、

 宇内に雄飛し万国に対立するの大業甚だ難しきにあらざるべし。



明治から、戦争、そして、敗戦を経て、

昭和時代のバブルまでの、

あの世界に「追いつけ、追い越せ」を合言葉に、

先輩たちがとことん働き、

1つの目標』を日本国民全員が一体感を持ち、

駆け抜けたあの時代、

小さな国がメタメタにやられ、脇目も振らず、

努力を重ね復活し、

その結果、

世界を驚かす経済大国に成長するまでの、

日本人の行動力と精神力を表した、

すごく深みのあり、

考えさせられる言葉だと思います。

あなたはどう感じましたでしょうか?



上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。










次回は、


松下村塾!夢なきものに成功なし・至誠で有名!吉田松陰の生涯と名言


という話を紹介します。

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