「為せば成る」が有名!ケネディからも尊敬【上杉鷹山の生涯と名言】

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ケネディも尊敬した米沢城にある上杉鷹山の銅像



あのアメリカの大統領

●●●・●・●●●●が就任の際に、

「日本で最も尊敬する政治家はだれですか?」と質問され、

紹介された人物、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)とは、

いったいどんな人物だったのでしょうか?




正解はのちほど。



調べると、

自分の欲に生きず、藩を再建するために、

自ら行動し、まわりを引っ張っていた素晴らしい人でした。




上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)は、

1751年、日向国(現在の宮崎県)で生まれ、

1767年に家督を継ぎました。




ここから、すごかったです。

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)が

継いだ当時、米沢藩上杉家は実は、

●●まみれで、●●●●状態となっていました。

正解はのちほど。




そんな米沢藩上杉家を立ち直らせるために、

まずは、現状把握しつつ、いろいろと困難が降りかかりますが、

今までのルールにどんどんメスを入れていきます。

今でいうと、

急に接待交際費が使えなくなる感じですね(笑)

本当にすごいですよ!!




また、名家としてのプライドを

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)自らが捨て、

先頭に立って倹約する行動をとったのもすごいことです。

自らは、●●を食して倹約を行うなど、

本当に尊敬します。

正解はのちほど。




その後、1822年、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)は、 

72歳でその生涯を閉じることとなりました。




自らを律し、まわりに良い影響を与えた、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)を分かりやすく解説させていただきます。

 

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「為せば成る」が有名!ケネディからも尊敬!上杉鷹山とはどんな人物

ケネディも尊敬した上杉鷹山の銅像などがある米沢城址



上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) は、

1751年、日向国(現在の宮崎県)

高鍋藩主、秋月種美(あきづき たねみつ)の次男として生まれます。




その後、1760年、

米沢藩主、上杉重定(うえすぎ しげさだ)の家督相続人となるべき

養子となり、1767年に家督を継ぎます。

ここからはより分かりやすくするために、

現代風で表現していきますね。

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)が継いだ当時、

米沢藩上杉家は、実は借金まみれで、倒産寸前状態となっていました。

金額にすると、

20万両

現代の通貨に換算すると、

なんと、約150億~200億円という金額。




なんで、そんな借金まみれの倒産寸前状態だったのかというと、

豊臣秀吉政権時代の五大老の一人とされた

初代米沢藩上杉家社長、上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)の考えやルールを、

その後の歴代の社長たちが継承し続けます。




そのため、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)が継いだ当時、

現在の収入が、15万石しかないのに、

全盛期だった収入、120万石時代の体制を維持。

家臣6,000人をほぼクビすることをしてこなかったのです。

つまり、売上に占める人件費の割合が異常に高かったことになります。

借金まみれの理由は、まだこれだけではありません。




1755年の洪水による被害なども重なったことに加え、

よくある、

名家としてのプライドが邪魔をして、豪華で贅沢な生活スタイルを、

今までの社長たちが改めることができず、

借金がどんどん膨らみ、深刻な状態となっていったのです。




こんな状況の中で、家督を継ぐことになった、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) 。

その後のどんな展開となるのか?

解説していきます。

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NHK大河ドラマや多数の本で紹介!上杉鷹山の財政立て直し策に驚き

上杉神社などがある米沢城址



新社長に就任した、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) は、

財政立て直しのために、すぐさま行動を起こします。




まずは、

藩の収入を増やすために、産業政策のスペシャリストと、

無駄な経費を削るために、財政政策のスペシャリストを

雇います。




そして、手っ取り早い、

無駄な経費削減策をすばやく実施します。




これまでのルールで決まっていた、江戸における生活費を1,500両から、

約209両余りに大幅減額、

それに加え、

住み込みで働いてくれていたお手伝いさんの人数を、

50人から9人に減らすなどの倹約政策を一気に進めます。




これでどんどん借金を返済できると計算がたった、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) に試練が起こります。




まずは、江戸幕府より、大規模な土木建築工事を命じられ、

計算外の多額の出費が発生します。




それに加え、飢餓が発生し、餓死者が多発します。




このピンチに

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)は、

ここで先頭に立って行動し、まわりを巻き込んでいきます。




まずは、非常食の普及および部下を含めたいろいろな立場の人に

倹約を奨励してます。

その倹約の奨励を促進するために、

なんと自ら、

お粥(かゆ)を食して倹約を行います。




上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)の

さらにすごいところは、ここからです。




倹約だけでは人と藩の将来の発展がなくなってしまうので、

教育に力を入れていきます。

閉鎖されていた学問所を復活させ、藩士だけでなく、農民など、

身分を問わず学問を学ばせる体制を作っていったのです。




これらの様々な施策と努力により、破綻寸前の藩の財政は立ち直り、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) の2代後の

上杉 斉定(うえすぎ なりさだ)時代には、

なんと、借金を完済してしまうのです!!




その後、1822年、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)は、 

72歳でその生涯を閉じることとなりました。




現在の日本においては、右肩上がりが前提としていた、

経済システムが終わっただけでなく、グローバル化なども進み、

今までのシステムから

新しいシステムへの構造の立て直しが急務となるなか、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)の

功績が見直され、


1998年、NHKの正月時代劇で

『上杉鷹山-二百年前の行政改革-』として作品が作られ、放映されたり、



2007年に『讀賣新聞』が実施した、

日本の自治体首長に対して行ったアンケートでも、

理想のリーダーとして1位を獲得したりしています。



また、

1961年、前大統領アイゼンハワー時代から始まった不況を打開することを

アメリカ国民から託され、43歳でアメリカの大統領に選ばれた

ジョン・F・ケネディが就任の際に、

「日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と

質問され、

彼は、

「上杉鷹山(うえすぎようざん)」と答えたそうです。




その理由は、

すでに倒産状態にあった借金まみれの藩を立て直した、

上杉鷹山(うえすぎようざん)を

大統領になる前に学んでいたということになります。




また、上杉鷹山をもっと詳しく知りたい方は、

本だけでなく、まんが、DVDもありますので、

ぜひ、ご覧ください。



ケネディ大統領が最も尊敬した日本人上杉鷹山 童門冬二の世界 (言葉の森へ)


上杉鷹山の経営学 危機を乗り切るリーダーの条件 (PHP文庫)


[完全版]上杉鷹山


上杉鷹山―米沢藩を救った男― (時代劇コミック斬)


上杉鷹山 ~二百年前の行政改革~ [DVD]




そんな上杉鷹山(うえすぎようざん)が

残してくれた言葉とは?

調べてみました。

ぜひ、元気をいっぱいもらってください。

 

「為せば成る」が有名!ケネディからも尊敬された【上杉鷹山の名言】

ケネディも尊敬した上杉鷹山の名言が刻まれた石碑の写真



・なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり



どんな意味かと言いますと、

やれば出来る。やらなければ出来ない。

どんな事においても、出来ないというのは、やろうとしていないに過ぎない。



ん~、心に響きますね。

 

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まとめ

ケネディも尊敬し「為せば成る」の名言で有名な上杉鷹山を祀る鷹山神社の写真



上杉鷹山(うえすぎようざん)

自分の欲に生きず、藩を再建するために、

自ら行動し、まわりを引っ張っていた、

素晴らしい人でした。




1751年、日向国(現在の宮崎県)で生まれ、

1760年、米沢藩主上杉重定(うえすぎ しげさだ)の家督相続人となるべき

養子となり、

1767年に家督を継ぎましたね。

ここから、すごかったですね。




上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)が継いだ当時、

米沢藩上杉家は実は、借金まみで、倒産寸前状態。

そんな米沢藩上杉家を立ち直らせるために、

まずは、現状把握しつつ、

藩の収入を増やすために、産業政策のスペシャリストと、

無駄な経費を削るために、財政政策のスペシャリストを

雇いました。




また、これまでの慣例にメスを入れつつ、

飢餓など、いろいろな困難が立ちはだかるも

名家としてのプライドを

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)自らが捨て、

先頭に立って倹約する行動をとり、

自らは、

お粥(かゆ)を食して倹約を行うなど、

本当に尊敬できる人物でした。




また、倹約だけでは人と藩の将来の発展がなくなってしまうため、

閉鎖されていた学問所を復活させ、藩士だけでなく、農民など、

身分を問わず学問を学ばせる体制作りは、

今は苦しくても将来を見越した対策の必要性は、すごく勉強になりますね。




これらの施策と努力を続けることにより、

破綻寸前の藩の財政は立ち直り、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) の2代後の時代には、

借金を完済しました。




その後、1822年、

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)は、 

72歳でその生涯を閉じることとなりました。




そんな上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) が残してくれた言葉は、

歳や立場に関係なく、いつなんどきでも、

やる気をもらえる言葉でしたね。

もう一度、振り返っていましょう。



生せは生る 成さねは生らぬ何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり



どんな意味かと言いますと、

やれば出来る。やらなければ出来ない。

どんな事においても、出来ないというのは、やろうとしていないに過ぎない。

 

 

現在の日本においては、右肩上がりが前提としていた、

経済システムが終わっただけでなく、グローバル化なども進み、

今までのシステムから

新しいシステムへの構造の立て直しが急務となるなかで起きた、

「コロナ」。




コロナが与えた変化のスピードは、今まで以上に、

当たり前と思われていた生活スタイルの変化をもたらすと思います。

当たり前と思われた、

「通勤」、「対面営業」などが、

『オンラインを前提』とした生活スタイルに変化してきています。




今までの当たり前に執着せず、

これからの当たり前になるであろうことを先取りして、

楽しみながら変化できる人が、

今以上に人生を満喫できるのかもしれません。

あなたはどう感じましたか?



最後に、

自分が大好きな言葉を改めてかみしめて、今から大事にしようと思いました。


ダーウィン

『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。

 唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。』






上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。



次回は、


銅像で有名!何した人?わかりやすく解説【二宮金次郎の生涯と名言】


という話を紹介します

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