真田丸

直江兼続!豊臣秀吉!徳川家康!との逸話とは?上杉景勝の生涯と名言

上杉景勝をイメージしたシルエット



「愛」の兜で有名な直江兼続(なおえ かねつぐ)に支えられた、上杉景勝。


直江兼続(なおえ かねつぐ)との出会いのきっかけは?



・上杉謙信の後継者争いである「御館の乱(おたてのらん)」勝利後の、

 思いも寄らぬ事態と、思わぬ出来事とは?



前田慶次との接点とは?



・実は、かなりの●●●であった!



そんな魅力たっぷりの上杉景勝を紹介します。






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ちなみに最近では、

中村天風の考え・活動に

影響を受けた人物として有名な、


●MLBのロサンゼルス・エンゼルス所属のプロ野球選手

 2021年 シーズンMVPとシルバースラッガー賞を受賞

 2023年 ワールド・ベースボール・クラシックで活躍

 2023年 シーズン

 日本人およびアジア人史上初となる最多本塁打を獲得




大谷翔平選手が、

所属するロサンゼルス・エンゼルスに寄贈し、

パフォーマンスとして、

ホームランを打った選手の頭に被せるカブトは、

上杉景勝の腹心で、

前田慶次とも仲の良かった、

直江兼続のシンボル「愛」がついたカブトです。





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関ヶ原の戦い後も生存?石田三成との関係?最強!島左近の生涯と名言

島左近が気合いが入っているイメージのイラスト



様々な理由から、

合計6人もの主人に仕えることとなった、

島左近。




6人目の主人、

石田三成に雇われる際の内容に驚きです。




そして、1600年、

「関ヶ原の戦い」の本戦が幕を切って落とされ、

当初は石田三成率いる、

西軍が有利に戦を進めます。






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「関ヶ原の戦い」では、

島左近も自ら陣頭に立ち大活躍、




島左近の戦いぶりは、

徳川方でも有名となり、

『誠に身の毛も立ちて汗の出るなり』と

恐れられたことが、

伝えられています。



しかし、この戦いにより、

61歳でその生涯を閉じることとなります。




そんな、島左近には、

なんと最後の死亡説と生存説で、

それぞれ3つずつあるという、

本当にミステリアスな人物となります。



そんな、ミステリアスな人物、

島左近の生涯と名言を紹介します。




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楽天の三木谷浩史が子孫!最強!蜻蛉切で有名な本多忠勝の生涯と名言

楽天の三木谷浩史が子孫!最強!蜻蛉切が有名で「一言坂の戦い」で活躍した本多忠勝の銅像




徳川家康にずっと仕え、

なんと!57戦●●の男

実はあの有名な方が、本多忠勝の子孫でした。

そんな、本多忠勝の生涯と名言を紹介します。




1548年、

徳川本家で最も古い家臣である本多氏の長男として、

三河国額田郡蔵前(現在の愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれ、




幼い頃から徳川家康に仕え、




1560年、13歳の時に初陣を果たし、




その後、

数々の戦に参戦します。






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1563年、

三河の国で発生した一向一揆では、

多くの本多一族が、

つまり親戚一同が敵となる中で、

家康側について、勝利に貢献。




1566年、

19歳で旗本先手役に抜擢されて、

54騎を与えられました。




1570年、

織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍との戦いである、

「姉川の戦い」で、

すごい武勇伝が残されています。

正解はのちほど。




そして、1575年、

「長篠の戦い」などにも参戦し、活躍。

これらの度重なる合戦における、

本多忠勝の活躍は、敵味方を問わず賞賛され、



本多忠勝を合戦で見た、

織田信長からは、

「花も実も兼ね備えた武将である」と称えられ、


徳川家康からは「まことに我が家の良将なり」と

褒め称えられます。












そんな本多忠勝が使っていた武器は、

槍(やり)で、

「蜻蛉切(とんぼきり)」と

呼ばれていました。

その名称の逸話などはのちほど、

解説します。




その後、

1584年、羽柴秀吉(豊臣秀吉)陣営と、

織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた

「小牧・長久手の戦い」でも

すごい武勇伝が残されています。

正解はのちほど。



ちなみに、本多忠勝の戦いぶりを見た、

羽柴秀吉(豊臣秀吉)からは、

『日本第一、

 古今独歩(昔から今まで他に並ぶものはいないという意味)の勇士。

 東には、本多忠勝という天下無敵の大将がいる』と

称賛されたと伝えられています。



この称賛ぶりは、三国志で表現すると、

豪傑で有名な「張飛」に例えられる人物かもしれません。












1600年、

「関ヶ原の戦い」では、

もちろん、徳川家康側につき、

従来通り戦闘で大活躍するだけでなく、

徳川家康側につくように

工作活動でも活躍します。




これらの功績により、

1601年、

伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)10万石を与えられ、

本多忠勝は東海道宿場の整備などを行い、

桑名藩創設の名君として尊敬されました。




その後、1610年、

その桑名の地において、

63歳でその生涯を閉じることとなりました。











江戸幕府の創業に貢献したとされる「徳川四天王」の1人、

江戸幕府の創業に功績を残したとされる「徳川十六神将」の1人、

徳川家に特に貢献し功績が大きかったとされる「徳川三傑」の1人、




本多忠勝の活躍なくして、

江戸幕府の創業はなかったとも思える、




そんな、

本多忠勝の生涯を分かりやすく、

解説させていただきました。





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