総理大臣1回、大蔵大臣をなんと7回も就任
波乱万丈に生きた、魅力的な人物、
高橋是清の生涯と名言を
分かりやすく解説させていただきます。
目次
NHK大河ドラマ山河燃ゆ、いだてんでも登場!高橋是清とはどんな人
高橋是清
1854年生まれ。
江戸芝中門前町(現在の東京都港区芝大門)に
幕府御用絵師(今でいう幕府御用達の画家)の家に生まれますが、
生後間もなく、仙台藩の足軽であった、
高橋家の養子となりました。
その後、
ヘボン塾(現在の明治学院大学)で学び、
1867年
勝海舟の息子と海外へ留学します。
ここで、
高橋是清に人生初の試練が
訪れます。
オランダ系のアメリカ人商人で、
横浜に住んでいた
ユージン・ヴァン・リードという人物によって、
なんと!
学費や渡航費を着服されてしまいます。
それだけでなく、
ホームステイ先である、
ユージン・ヴァン・リードの両親にも
騙されてしまうのです。
どんな風に騙されたかというと、
現代風に表現すると、
住み込みという形態で、
食べ物や日用品などは支給しますが、
給料はもらえても少しだけとなります。
そんな条件で、
一定期間働いてもらいますがいいですね?
という、
契約書にサインをさせられてしまいます。
契約書にサインした高橋是清はどうなったのか?
なんと、すぐに、
奴隷として売られてしまうのです。
そこで、
家畜の世話をさせられたり、
葡萄園(ぶどうえん)など、
奴隷として、
いろいろなところを転々する羽目となりますが、
高橋是清は、
「これも勉強!大変だけど頑張ろう!」と
前向きな捉え方をしていたと
いうから驚きです。
こんな奴隷生活でのいろいろな体験から、
なんと、高橋是清、
英語の読み書きだけでなく、
話せるようにもなってしまうのです。
すごい人物ですね!!
1868年
帰国した高橋是清はその後
官僚として、大活躍します。
1873年
文部省に入省後、
農商務省(現在の経済産業省および農林水産省)、
そして1884年、
特許局の初代局長に就任。
マンガのような活躍と出世のスピードです。
ハッピーエンドのいい人生でした!で、終わらない高橋是清の人生がここからまたすごい
1889年
35歳のときに官僚を辞めて、
なんと、
ペルーで銀鉱事業をはじめますが、
失敗してしまいます。
そして、1892年
帰国した直後の高橋是清
なんと、
ホームレスとなります。
これで人生終わった!!
で、終わらないのが、
高橋是清のすごいところ。
その後の展開を解説していきます。
50円札にもなった高橋是清!波乱万丈の人生に驚きと感動エピソード
1892年
ホームレスとなってしまった、
高橋是清は、
なんと、その後、
日本銀行に入行します。
そう、あの日本銀行、
通称、日銀です。
半端ない、
ジェットコースターのような人生です。
日銀に入行後の高橋是清
その手腕を認められ、
なんと、翌年には
九州全域を管下とする
西部支店の初代支店長に抜擢
その後はなんと、
日銀副総裁にまで、
上り詰めていきます。
ここからさらに、
高橋是清のすごさが、
発揮されます。
日露戦争勝利の立役者の一人である高橋是清が成功したすごいこと
1904年から始まった日露戦争において、
継続的に戦うためには、
お金が必要になります。
ところが当時の日本は、
お金がないだけでなく、
戦力差から当時のロシアに
勝てるとはどこ国にも思われてなかったため、
戦費を貸してくれる国がなく、
非常に困難な状況に陥ります。
そんな状況下、
高橋是清の熱意あるプレゼンなどもあり、
戦費を調達することに成功します。
その後、
皆さんもご存知の通り、
当時、世界最強と謳われた、
ロシアのバルチック艦隊などを撃破し、
東洋の小さな国であった日本が、
あの大国ロシアを打ち負かし、
世界中を驚かせた、
歴史的な戦争の結末を迎えるのです。
その後の高橋是清は、
ますます、
すごいステージへ駆け上がっていきます。
1911年
日本銀行の総裁に就任後、
政治家になり、
総理大臣1回、
大蔵大臣をなんと7回も就任。
その後、1936年
「二・二六事件」が勃発。
現代でも、本や映画だけでなく、
NHKの大河ドラマ、
「山河燃ゆ」
「いだてん~東京オリムピック噺~」
でも登場する、
高橋是清の最後は、
陸軍青年将校に暗殺され、
83歳でその生涯を閉じることとなりました。
また、
高橋是清をもっと詳しく知りたい方は、
ぜひ、読んで見てください。
人生を逆転させた男・高橋是清 (PHP文芸文庫)
高橋是清自伝 上 (中公文庫)
高橋是清自伝 下 (中公文庫)
日露戦争、資金調達の戦い 高橋是清と欧米バンカーたち (新潮選書)
生を踏んで恐れず (幻冬舎文庫)
人生の酸いも甘いも経験し、
日本のために活躍してくれた、
高橋是清が
残してくれた言葉とは?
調べてみました。
ぜひ、元気をいっぱいもらってください。
総理大臣となり内閣も誕生!波乱万丈の人生を過ごした高橋是清の名言
・授かった仕事が何であろうと、
常にそれに満足して一生懸命にやるなら、衣食は足りるのだ。
・一足す一が二、二足す二が四だと思いこんでいる秀才には、
生きた財政は分からないものだよ。
・逆境も心の持ちよう一つで、これを転じて順境たらしめることもできる。
・「我」を去り私心をなくす、そうして自然の大道と己を一緒にしてみると、
「生死」というものがなくなってくる。
まとめ
高橋是清
すごく高低差のある人生で、
波乱万丈に生きた、
魅力的な人物でした。
江戸芝中門前町(現在の東京都港区芝大門)に
幕府御用絵師(今でいう幕府御用達の画家)の家に生まれるも、
生後間もなく、
仙台藩の足軽であった、
高橋家の養子となりました。
その後、
海外へ留学する際に、
学費や渡航費を着服されたり、
その犯人の両親にも騙され、
奴隷になるなど、
どんでもない人生を送りますが、
そんな状況下で、
英語の読み書きだけでなく、
話せるようにもなってしまう
精神力が神がかっていました。
帰国後、
官僚としての大活躍が
これまたすごかったですね。
文部省、
農商務省(現在の経済産業省および農林水産省)、
そして、
ついに特許局の初代局長に就任。
マンガのような活躍と出世のスピードでした。
ハッピーエンドのいい人生でした!!
で、終わらないのがすごかったです。
その後、
35歳のときに官僚を辞めて、
ペルーで銀鉱事業をはじめますが、
失敗し、
帰国直後は、
「ホームレス」に・・・
普通なら、
これで人生終わった!!
で、終わらないのが、
高橋是清のすごいところでした。
その後、なんと、
日本銀行に入行し、
その手腕を認められ、
翌年には、
九州全域を管下とする初代支店長に抜擢され、
その後、
日銀副総裁にまで上り詰め、
日露戦争においては、
継続的に戦うためには、
戦費を調達することに成功。
そして、
日本銀行の総裁に就任、
その後、
政治家になり、
総理大臣1回、
大蔵大臣をなんと7回も就任。
最後は、
陸軍青年将校に暗殺され、
83歳でその生涯を閉じました。
そんな高橋是清が残してくれた言葉で、
自分が好きなのは、
「逆境も心の持ちよう一つで、これを転じて順境たらしめることもできる。」
高橋是清の人生を
一言で、表している言葉だと思います。
生きていれば良いことも悪いこともありますが、
すべては「心の捉え方」ということ、
また、自分を信じて諦めずに続けていれば、
「必ずチャンスがめぐってくる」ということを
伝えてくれいて、
元気がもらえますね。
あなたはどう感じましたか?
上手くいってるときも、
ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、
歴史の先輩から学ぶ。
先輩たちの人生を参考にしながら、
明日から、
いやいや今から
自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、
自分のペースの明るく・楽しく・元気よく
で、過ごしていきましょう。
次回は、
日露戦争での悲しい出来事での対応に尊敬!乃木希典の生涯と名言とは
という話を紹介します。