NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人!小栗旬熱演!北条義時の生涯と名言

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北条義時をイメージしたイラスト



2022(令和4)年の1月~スタートした、

NIHKの大河ドラマ

「鎌倉殿の13人」

三谷幸喜作、

主人公、小栗旬演じる

北条義時とはどんな人物だったのか?




なんとなく気になり、

いろいろと調べてみました。




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ちなみに、

NIHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

超豪華キャストが名を連ねました。
(以下、役柄を記載しました。)

・北条義時:小栗旬さん


・北条政子:小池栄子さん


・北条宗時:片岡愛之助さん


・平清盛:松平健さん


・平宗盛:小泉孝太郎さん


・大姫:南沙良さん


・北条時政:坂東彌十郎さん


・源頼朝:大泉洋さん


・源義経:菅田将暉さん


・梶原景時:中村獅童さん


・牧の方:宮沢りえさん


・八重:新垣結衣さん


・後白河法皇:西田敏行さん


・ナレーター:長澤まさみさん





本当に超豪華でした。


 

話を元にに戻します。









北条政子をイメージしたイラスト



北条義時と源頼朝の妻、

政子との関係は?

 

 

北条時政をイメージしたイラスト



父である、北条時政に、

こんなことまでやってしまうの?




北条義時は唯一の武将として何をして、

後世に名を残すことになったのか?

 

そんな、北条時政の生涯を

分かりやすく解説させていただきました。




 



NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人に登場!北条義時とは一体どんな人物

源実朝をイメージしたイラスト



北条義時は、

1163年、北条時政の次男として生まれ、

姉はなんと、源頼朝の妻、政子。




順調に成長し、

1199年、源頼朝の死後、

跡を継いだ2代将軍・源頼家の独裁を押さえるための

「13人の合議制」という

集団指導体制の1人としてに加わりました。




この「13人の合議制」の参加者には、

父の北条時政も加わっています。




ここから

権力闘争が始まります

北条義時の父、北条時政が、

2代目将軍の源頼家が信頼する部下を失脚させるだけでなく、

源頼家も将軍の座から引きずり下ろし、

1203年、執務能力を持たない

幼い、源 実朝(みなもとの さねとも)を将軍に担ぎ上げ、

絶大な権力を手に入れました。




これにより、現代でいうと、

財政権、人事権、決裁権の実務を取り仕切る重要な業務を、

幼い、源 実朝(みなもとの さねとも)の代わりに自らで行うことで

北条時政は実質的な幕府の最高実力者に躍り出ます。

 




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NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人!北条義時と父親の関係で歴史を動く

北条時政後妻の牧の方をイメージしたイラスト



ここからまた少しずつ、

歴史が動き出します。



北条義時からすると、

父の北条時政がこの立場までくると、

「次は俺の番だね、頼むね!親父」

という、ポジションを獲得できて、

ラッキー!と思いきや・・・

ここから

親子関係がギクシャク

していきます。




なんと、父の北条時政が

後妻の牧の方(まきのかた)の

意見を重要視することになり、




父の北条時政が娘婿である、

平賀 朝雅(ひらが ともまさ)という人物を

すごく大事にするようになり、

これを象徴する出来事が起こります。




なんと、

当時有力な武将であった、

畠山 重忠(はたけやま しげただ)という人物を

平賀 朝雅(ひらが ともまさ)のために、

謀略により討ち滅ぼしてしまいます。




北条義時からすと、

「ここまでやるか?

 後妻の牧の方(まきのかた)に

 あやつられて、次は自分がやられるかも?

 だって俺、前妻の子だし・・・」




そんな矢先、

後妻の牧の方(まきのかた)が

裏で糸を引いていると言われる

出来事が勃発し、

またまた、歴史が動き出します。




覚えてますか?










1203年になぜ、

北条時政が実質的な幕府の最高実力者に

躍り出れたんでしたっけ?




そうです!




様々な謀略を仕掛けて、執務能力を持たない、

幼い、源 実朝(みなもとの さねとも)を

将軍に担ぎ上げたからです。




話を戻しますが、




なんと、

北条義時の父、北条時政が、

1205年、実質的な幕府の最高実力者になった

たった2年後に、

幼い、源 実朝(みなもとの さねとも)から、

後妻の娘婿である平賀 朝雅(ひらが ともまさ)を

将軍にさせようと動き始めたのです。




この動きに

危機感を感じた北条義時がついに動く!驚きの方法

それは、

北条義時は亡くなった源頼朝の妻であった

姉の北条政子とタッグを組み、

現代でいうとクーデターを起こして、

父、北条時政を失脚させ、

伊豆に幽閉させます。




その後、父、北条時政は

歴史に名前が刻まれる出来事もなく、

静かに亡くなったようです。




その後、北条義時が父に代わって、

実質的な幕府の最高実力者に躍り出ました。




それでは、

北条義時はどのように政治を進めていったのか

解説します。




父同様、

幼い、源 実朝(みなもとの さねとも)を将軍に据えて、

財政権、人事権、決裁権の実務を

自ら取り仕切る体制としましたが、

また、政治のやり方、進め方は、

父と真逆の形を貫いたようです。




簡単に説明すると、

父、北条時政はまわりに相談せず、

自分の名前で様々な命令を出していましたが、

北条義時は、

当時、重鎮である大江広元(おおえのひろもと)と

相談しながら、

自分の名前でなく、

幼い、源 実朝(みなもとの さねとも)の名前で

命令を出していました。




政治やり方、進め方は、父と真逆の形でしたが、


人事に関しては、

父、北条時政同様、

扱いづらい人物や逆らいそうな人物、

また将来ライバルになるような人物は

ガンガン消していったようです・・・




やっぱり親子は似るんですかね?




1つのエピソードがあります。




政治の代表が北条義時なら、

今でいう軍事・警察の代表が

和田 義盛(わだ よしもり)という人がいました。

この 和田 義盛(わだ よしもり)という人物を

謀反の疑いがあるとし、

謀略を仕掛けて、討ち滅ぼします。




これにより、

政治、軍事、警察という強大な権力を

手に入れ、

現代でいう、

独裁体制となりました。

 










鎌倉殿の13人!北条義時が日本の歴史上唯一の武将!そのエピソード

後鳥羽上皇をイメージしたイラスト



ここから大きく、

歴史が動き出します。




1221年に起こった「承久の乱」です。




学校で習いましたね。

覚えてますか?




簡単に言うと、

幕府のやり方に不満を持っていた後鳥羽上皇が、

1219年の源 実朝(みなもとの さねとも)の死をきっかけに、

「北条義時体制反対、辞めろ!」と言う趣旨の

命令を発表し、倒幕向けて動き出します。




ここで、

北条義時率いる幕府側に大きな動揺が

走ります。

その理由とは、実は・・・











これまで、天皇をトップとした朝廷と

武将が戦った場合、

この「承久の乱」以前は、

朝廷に歯向かって戦った権力者やその体制が、

日本の歴史上、勝ったことが一度もなかったからです。




そんな状況の中、

「承久の乱」の戦いが始まります。




今までの歴史通り、

天皇側が勝つのか、

はたまた、

幕府側が勝ち、

新しい歴史の1ページを刻むのか?





「承久の乱」の戦いの結果

幕府側の勝利となりました!!




この勝利により、

北条義時は朝廷を武力で倒した

なんと!唯一の武将として、

後世に名を残すこととなったのです。




そして、ここからが

北条義時の真骨頂(しんこっちょう)。




扱いづらい人物や逆らいそうな人物、

また将来ライバルになるような人物は

ガンガン消していきます。




この倒幕計画に関わった武士などは、

多数処刑されるなどしています。




また、首謀者である後鳥羽上皇含めた、

上皇3人を島流しにし、

当時、天皇だった仲恭天皇を辞めさせて、

北条義時が扱いやすそうな、

後堀河天皇を即位させます。




そして、

「承久の乱」からたった3年後の1224年、

北条義時は62歳で急死しました。




病気説、毒殺説、殺されたという説もあり、

ミステリアスな終わり方で、人生を終えています。

 

まとめ

権力を象徴する建物のイメージイラスト例



北条義時の人生を振り返ってみると、

時代が時代だったかもしれませんが、

謀略ばかりで、疑心暗鬼の毎日だったのでは

ないかと推測されます。









権力闘争が始まり、

父、北条時政が実質的な幕府の最高実力者に

登りつめるまでと、登りつめたとき、

北条義時はこの流れをどんな目で、

見ていたのでしょうか?




また、父である、北条時政体制に

自らがクーデターを起こしたとき、

父、北条時政、

その息子である、北条義時

父、北条時政の娘であり、

また北条義時の姉である、北条政子

3人心理状態や心情を、

自分がそれぞれの立場ならどうだろう?と

想像するのが歴史の醍醐味の1つですね。




さらに、調べていくうちに、

北条義時が朝廷を武力で倒した

唯一の武将だったのは、

非常に驚きでした。












こんな濃密な人生を過ごした、

北条義時を題材とした、

三谷幸喜作、

主人公、小栗旬演じる

2022(令和4)年の1月~

NIHKの大河ドラマ

「鎌倉殿の13人」

超豪華キャストが名を連ね、

すごく良かったです。

(以下、役柄を記載しました。)



・北条義時:小栗旬さん


・北条政子:小池栄子さん


・北条宗時:片岡愛之助さん


・平清盛:松平健さん


・平宗盛:小泉孝太郎さん


・大姫:南沙良さん


・北条時政:坂東彌十郎さん


・源頼朝:大泉洋さん


・源義経:菅田将暉さん


・梶原景時:中村獅童さん


・牧の方:宮沢りえさん


・八重:新垣結衣さん


・後白河法皇:西田敏行さん


・ナレーター:長澤まさみさん












第一話から、

時代劇とは思えないセリフが話題を呼んでいましたね。

さすが、三谷幸喜さん。



小栗旬さん演じる

主人公、北条義時の父である、

北条時政役を演じる、坂東彌十郎さんの発した、

時代劇とは思えないセリフとは、

『首チョンパ』


なんと、『首チョンパ』は、

ツイッターでトレンド入りを果たすなど、

ネットで大反響となりました。





そんな、三谷幸喜さんが脚本家として、

日本文学振興会から、

優れた文化活動に贈る「第70回菊池寛賞」に選出されました。






また、日本経済新聞12月3日夕刊にて、

北条義時役を演じ、

最終回まで収録を撮り終えた、

小栗旬さんがインタビューに答えています。






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小栗旬さん曰く、

『今からもう1回、義時をやれた言われてもできません。』と笑いつつ、




今回の「鎌倉殿の13人」がヒット作になった理由として、

「物語の力」を挙げ、

『三谷幸喜さんの脚本が神がかっていた』と語っています。





さらに、日本経済新聞12月20日朝刊にて、

「鎌倉殿の13人」の全48回の期間平均世帯視聴率の

記事が取り上げられていました。



関東地区、12.7%、関西地区で11.7%、




最終回の平均世帯視聴率(速報値)は、

関東地区、14.8%、関西地区で10.2%とのことでした。




毎週楽しかった「鎌倉殿の13人」も

ついに最終回を迎えてしまいました。











来年の時代劇は、

松潤こと、松本潤演じる、徳川家康を題材にした、

テーマとなります。



2023年の時代劇が始める前に、

題材となる「徳川家康」を改めて知ると、

より楽しく見れますので、ぜひご覧ください。



NHK大河ドラマ「どうする家康」松本潤熱演!徳川家康の生涯と名言












最後に、

北条義時をもっと詳しく知りたい方は、

マンガもありますので、

ぜひ、読んで見てください。



鎌倉人物伝 北条義時 (コミック版 日本の歴史 80)



北条義時 鎌倉殿を補佐した二代目執権 (中公新書 2678)



北条義時完全ガイド (100%ムックシリーズ 完全ガイドシリーズ 340)




上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。





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次回は、


NHK大河ドラマ「どうする家康」松本潤熱演!徳川家康の生涯と名言


という話を紹介します。

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