大河ドラマ!信長の野望!モンスト!ixa【馬場信房の生涯と名言】

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馬場信房をイメージした写真



武田信虎、信玄、勝頼と武田家3代に仕えた40数年の間、

なんと●●戦無傷の男、

馬場 信房(ばば のぶふさ)の生涯と名言を紹介します。




生まれは、

1514年とも1515年とも2つの説があり、

武田信玄の父親である武田信虎の時代から武田氏に仕え、

武田信玄の初陣とされる「海ノ口城攻め」に参加し、

いきなり、

敵将・平賀源心を討つという功績を挙げます。




その後、1541年、

武田信玄による、

父親、武田信虎追放計画にも参加し、

武田信玄が武田氏の当主となり、

その直後に信濃国攻めが始まると、

この戦いにも参加して

功績を挙げます。



なぜ、武田信玄が、父親の武田信虎を

追放することにしたのか?の理由は、

のちほど、解説します。




この功績を称えられ、

1546年、

父親武田信虎時代に名跡が絶えていた、

甲斐武田氏武将の名門である馬場氏を継ぐことを許され、

その後も、信玄の信濃攻めに参加して功績を挙げ、




1559年、

武田●●●の一人として選ばれます。




1561年、

「川中島の戦い」に参加し、

上杉軍の背後を攻撃するという重要な部隊の指揮を任せられ、




1569年、

「三増峠の戦い」では、先発隊として北条軍と戦い、功績を挙げ、




1572年、

武田信玄から一隊の指揮を任されて只来城を攻略、




1573年、

武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍の戦いである、

「三方ヶ原の戦い」にも参加し、

徳川軍を浜松城下まで追い詰めるという功績を挙げます。




その後、

1573年、

武田信玄が死去すると、

息子の武田勝頼を山県昌景と共に補佐し、




1575年、

3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、

1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った、

「長篠の戦い」で、

退却を決断した、武田勝頼が退却したのを見届けると、

この時点でもまだ馬場 信房(ばば のぶふさ)は、

なんと無傷であったと伝えられていましたが、

反転して追撃の織田軍と戦い討ち死にしたとも、

首を差し出したとも伝わり、

約60歳でその生涯を閉じることとなりました。




そんな、

馬場 信房(ばば のぶふさ)の生涯を

分かりやすく解説させていただきました。

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大河ドラマ!信長の野望!ixa!馬場信房とはどんな人物で何した人

馬場信房が仕えた武田信玄の銅像写真



馬場 信房(ばば のぶふさ)の生まれは、

1514年とも1515年とも言われています。




武田信玄の父親である武田信虎の時代から武田氏に仕えます。




武田信玄の初陣とされる「海ノ口城攻め」に参加し、

なんと、敵将・平賀源心を討つという功績を挙げたと

伝えられています。




その後、1541年、

武田信玄による、

父親、武田信虎追放計画にも

参加していたといわれています。



ちなみに、この追放計画は今川義元との共謀説など、

諸説あるようですが、

元々の理由としては、武田信玄の父親、武田信虎が

武田信玄だけでなく、家臣たちとの関係が悪化していたこと、

また、武田信虎が度重なる外征の軍資金確保のために、

農民たちに重い負担を課していたことから、

国内において恨みや怒りの声が充満した状態となっており、

武田信玄による父親、武田信虎の追放は、

領民からも歓迎されたと伝えられています。




その後、馬場 信房(ばば のぶふさ)が

どんな人生を歩んだのかを

解説していきます。

 

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信長の野望!人生最期の長篠の戦いまで無傷との噂【馬場信房の死因】

戦国武将・武田信玄を祀っている山梨県恵林寺にある庫裡の鬼瓦



武田信玄が武田氏の当主となり、

その直後に信濃国攻めが始まると、

この戦いにも参加して功績を挙げます。




この功績を称えられ、

1546年、

父親武田信虎時代に名跡が絶えていた、

甲斐武田氏武将の名門である馬場氏を継ぐことを許され、



また、同時に50騎持の侍大将となり、

この時に名も、

景政(かげまさ)から、

信房(のぶふさ)と改めます。




その後も、武田信玄の信濃攻めに参加して功績を挙げ、

1559年、

120騎持になるだけでなく、

武田四天王(たけだしてんのう)の一人として選ばれます。




1561年、

「川中島の戦い」に参加し、

上杉軍の背後を攻撃するという重要な部隊の指揮を

任せられたと伝えられています。




1569年、

「三増峠の戦い」では、

先発隊として北条軍と戦い、功績を挙げ、




1572年、

武田信玄から一隊の指揮を任されて只来城を攻略、




1573年、

武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍の戦いである、

「三方ヶ原の戦い」にも参加し、

徳川軍を浜松城下まで追い詰めるという功績を挙げます。




その後、1573年、

武田信玄が死去すると、

息子の武田勝頼を山県昌景と共に補佐します。




1575年、

3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、

1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った、

「長篠の戦い」では、

馬場 信房(ばば のぶふさ)率いる馬場隊は、

最初は善戦するも、

数では2倍以上の差があったことから、

徐々にその戦力差からほころびを見せ始め、

武田軍は、有能な人材を次々と失い、

ついに、武田勝頼は退却を決断します。



馬場 信房(ばば のぶふさ)率いる馬場隊は、

武田勝頼の姿が見えなくなり退却したのを見届けると、

この時点でもまだ馬場 信房(ばば のぶふさ)は、

なんと無傷であったと伝えられていましたが、

反転して追撃の織田軍と戦い討ち死にしたとも、

首を差し出したとも伝わり、

約60歳でその生涯を閉じることとなりました。




馬場 信房(ばば のぶふさ)、

武田信虎、信玄、勝頼と武田家3代に仕えた40数年の間、

大小合わせて70回を越える戦闘に参加しましたが、

人生の最期となった長篠の戦いまで、

なんと、かすり傷一つ負わなかったと言われており、

現代においては、

「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と

評価されています。




現代では、

・NHK大河ドラマ、美木良介出演、

 1988年、『武田信玄』



・荒木しげる出演、

 1992年、『信長 KING OF ZIPANGU』



・高橋和也出演、

 2007年、『風林火山』



だけでなく、




ゲームでも、

 ・信長の野望

 ・戦国IXA



など、



数々の作品にも取り上げられています。





また、馬場 信房(ばば のぶふさ)を

もっと詳しく知りたい方は、

本もありますので、

ぜひ、ご覧ください。




忠臣 馬場信房―武田三代奮戦記


<武田信玄と戦国時代>智勇比類なし! 武田軍師列伝 (歴史群像デジタルアーカイブス)


戦国武将の実力 111人の通信簿 (中公新書)





武田家3代に仕え、

70戦無傷の男、

馬場 信房(ばば のぶふさ)、

そんな彼の名言とは?

調べてみました。

ぜひ、元気をいっぱいもらってください。

 

大河ドラマ!信長の野望!モンスト!ixa!登場【馬場信房の名言】

長篠の戦いの古戦場に復元された馬防柵を見ながら馬場信房の名言を回想しているイメージ写真



・志があれば、水も酒に変わる。

 


・敵より味方が勇んでいるときは、それぞれ先を争えばよい。

 


・味方が臆しているときは、自分一人が進んできっかけをつくる。




ん~、心に響きますね。

 

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まとめ

馬場信房の生涯と名言を知って心が晴れ晴れとしたイメージ写真



馬場 信房(ばば のぶふさ)の生涯を

振り返ってみましょう。




生まれは、

1514年とも1515年とも言われていました。




武田信玄の父親である武田信虎の時代から武田氏に仕え、

武田信玄の初陣とされる「海ノ口城攻め」に参加し、

敵将・平賀源心を討つという功績を挙げました。




その後、1541年、

武田信玄による、父親、武田信虎追放計画にも参加し、

武田信玄が武田氏の当主となり、

その直後に信濃国攻めが始まると、

この戦いにも参加して功績を挙げました。




この功績を称えられ、

1546年、

父親武田信虎時代に名跡が絶えていた、

甲斐武田氏武将の名門である馬場氏を継ぐことを許され、

その後も、信玄の信濃攻めに参加して功績を挙げ、




1559年、

武田四天王(たけだしてんのう)の一人として選ばれました。




1561年、

「川中島の戦い」に参加し、

上杉軍の背後を攻撃するという重要な部隊の指揮を任せられ、




1569年、

「三増峠の戦い」では、先発隊として北条軍と戦い、功績を挙げ、




1572年、

武田信玄から一隊の指揮を任されて只来城を攻略、




1573年、

武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍の戦いである、

「三方ヶ原の戦い」にも参加し、

徳川軍を浜松城下まで追い詰めるという功績を挙げましたね。




その後は、

1573年、

武田信玄が死去すると、息子の武田勝頼を山県昌景と共に補佐し、




1575年、

3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、

1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った、

「長篠の戦い」で、

退却を決断した、武田勝頼が退却したのを見届けると、

この時点でもまだ馬場 信房(ばば のぶふさ)は、

なんと無傷であったと伝えられていましたが、



反転して追撃の織田軍と戦い討ち死にしたとも、

首を差し出したとも伝わり、

約60歳でその生涯を閉じることとなりました。




馬場 信房(ばば のぶふさ)、

武田信虎、信玄、勝頼と武田家3代に仕えた40数年の間、

大小合わせて70回を越える戦闘に参加しましたが、

人生の最期となった長篠の戦いまで、

なんと、かすり傷一つ負わなかったと言われており、



現代においては、

「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と

評価されています。




馬場 信房(ばば のぶふさ)が

残してくれた言葉で、

私が好きなのは、



・味方が臆しているときは、自分一人が進んできっかけをつくる。



70戦の戦いに身を投じ、

勝利の条件の1つである、

兵士の勢いの重要性など、

現代風で考えると、

個々のモチベーションや全体の流れが重要であり、

その「勢いという流れ」を、

まずはリーダーである自分が背中で見せて、

その流れを作ることが大切であると、

伝えたかったのではないかと感じました。

皆さんはどの名言が好きで、どう感じましたか?






上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。




次回は、


雷を切る逸話!愛刀雷切とは!信長の野望にも!立花道雪の生涯と名言


という話を紹介します。

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