大河ドラマ!漂流記!モンスト!英語堪能!ジョン万次郎の生涯と名言

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ジョン万次郎の銅像



貧しい漁師の家に生まれ、

遭難、漂流し、無人島生活後、

日本人として初めて、

あの国に!!

上陸した初めての人物となったのです。




そして、なんと、

小学生に混じって英語を学ぶ生活が

スタートします。




その後、すごい努力をしながら、

運も味方につけ、

帰国後、ガンガン出世し、

生涯を終えます。




本当にすごい人で、

調べれば調べるほど、

すごい人物で、大好きになりました。




最後に、

「ジョン万次郎」と言われた

エピソードも明らかに。




そんな、ジョン万次郎を

分かりやすく解説させていただきました。

<スポンサーリンク>


 

大河ドラマ!桃鉄!英語堪能!ジョン万次郎とはどんな人物で何した人

ジョン万次郎が漂着した無人島「鳥島」の写真



1827年、

現在の高知県土佐清水市の生まれ。

英語が堪能なので、ハーフで裕福な家庭に生まれたお坊っちゃまと思いきや、

なんと貧しい漁師の家だったようです。




しかも、9歳の時に父親を亡くし、

幼い頃から稼ぎに出なくてはいけない生活だったようです。

すごい苦労人ですね。




14歳となった1841年、

万次郎の人生に大きな1回目の

ターニングポイントが

訪れます。




4人の仲間とともに漁に出て、遭難、

数日間漂流した後、

太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」という場所に

漂着するのです。




ここで万次郎が亡くなっていたら、

歴史が変わっていたかもしれませんね。

ここからがまたすごいですよ。




万次郎たちは、

なんと、143日間、

無人島生活です。




テレビ朝日で不定期に放映されている、

「よゐこの無人島0円生活」のリアルで、

ガチ版ですよ。

すごいですね。




なんとか生きていた、

万次郎と仲間たちに、奇跡が起きます!




アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって

発見され、助けらたのです。




このアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の

ウイリアム・H・ホイットフィールド船長は

すごく良い方で、

万次郎たちを日本に送ってあげようと

思いましが、

当時は、江戸時代、

覚えてますか?




そうです。




鎖国政策の時代。




対外関係は中国やオランダなどに限定されていましたね。

ですので、アメリカの船が日本の領海に近づくことも、

また、たとえ帰国できたとしても、

外国人と接触したということで命の保証もない

難しい時代背景もあり、

万次郎たちは、残念ながら、

日本に帰ることができませんでした。




そこで、

このアメリカの捕鯨船、

ウイリアム・H・ホイットフィールド船長は、

ジョン万次郎たちを、

安全なハワイのホノルルへと

連れて行ってくれました。




良いお話でした、チャンチャン!




と思いきや、まだまだ話は続きますよ。




万次郎の人生に大きな2回目の

ターニングポイントが

訪れます。

万次郎はただ1人、

アメリカへ渡る決心をします。




万次郎のこの申し出を捕鯨船の船長は、

快諾してくれました。

万次郎は捕鯨船員として、

働き始めます。




ここで、万次郎の頭の良さや行動力が、

認められて、捕鯨船の船長は、

この船の名前、

覚えてますか?

「ジョン・ハウランド号」からなぞり、

『ジョン・マン』という愛称が

つけられたとのことです。




気づきました?




ここでは、まだ『ジョン万次郎』には、

なっていないのです。




その秘密は最後に。




万次郎が救出されてから2年後の1843年、

船はマサチューセッツ州にあった、

アメリカ最大の捕鯨基地に帰港します。




ここで新しい歴史の1ページが刻まれます。




万次郎がなんと!

日本人として初めて、

アメリカ本土に上陸した人物となったのです。




この後、

万次郎の並々ならぬ努力により、

運が味方しますよ。

<スポンサーリンク>

 

大河ドラマ!モンスト!ジョン万次郎はどうやって英語力を習得したか

ジョン万次郎がアメリカ本土で生活していた時のイメージ写真



アメリカ本土に上陸した、

ジョン万次郎。




ウイリアム・H・ホイットフィールド船長に、

養子のように可愛がられます。




そして、小学生に混じって英語を学ぶ生活が

スタートしたと言われています。




ここが、万次郎の英語が堪能になる

スタートラインとなったんですね。




ここからですよ!

万次郎のさらなるすごさは。




なんと、英語だけでなく、

数学・測量・航海術・造船技術なども

熱心に勉強し、

なんと学校では、首席となったと

いうから驚きです!!




その後、学校を卒業後、

捕鯨船に乗り、いくつかの海を航海します。




その航海の1つの場所に、

ハワイのホノルルが含まれていました。




覚えていますか?




ハワイのホノルルです。




そう、仲間と別れた場所で、

改めて再会できたのです。

万次郎、

すごくうれしかたでしょうね。




そんな再会もあり、

日本への帰国を考えます。

ただ、帰国するにもお金がない。




ここで、万次郎にチャンスが訪れます!!




覚えていますか?




カリフォルニアで起こった、

ゴールドラッシュ。

「金」が発見され、

そのニュースがたちまち広がり、

なんと!アメリカ全土だけでなく、

海外も含めて、およそ30万人が、

カリフォルニアに集まることと

なった出来事です。




このチャンスを万次郎はつかみ、

金を採掘する職に就き、

帰国する資金を貯めました。




その後、船でハワイのホノルルに向かい、

2人の仲間と合流し、日本に向かいます。




漂流から10年後の1851年、

琉球(現在の沖縄県)に上陸。

約半年間、琉球に止められた後、

薩摩(現在の鹿児島県)へ。

ここで、造船術や航海術を教えたり、

英語講師などをしたようです。




その後、長崎へ。




そしてついに、

琉球(現在の沖縄県)の地を踏むことができた、

約1年半後の1852年、

漂流からなんと、11年目にして

故郷の土佐(現在の高知県)へ

帰ることができました。




万次郎、

どんな気持ちだったんでしょうか?




自分なら言葉にできないですね。




この後の万次郎の人生は、

世の中の流れから、

運が味方し、

成功の階段を駆け上がっていきますよ。

 

大河ドラマ!漂流記!モンスト!英語力で出世!ジョン万次郎のその後

ジョン万次郎が世の中の流れに合致して、どんどん出世していくことをイメージした写真



故郷に帰った万次郎は、その後、

異例とも入れる速さで、

ガンガン出世します。




まずは、土佐藩より、武士の身分である、

士分(しぶん)を与えられます。




これにより、

公的に苗字を名乗ることが許され、

故郷の「中浜」をとって、

中浜万次郎と名乗ったようです。




気づきました?




ここでも、まだ『ジョン万次郎』には、

なっていないのです。




そして、

琉球(現在の沖縄県)の地を踏むことができてから、

2年後の1853年、

なんと!

幕府は、直参(じきさん)、

つまり、幕府直属の武士の身分として、

万次郎を江戸に呼び寄せます。

幕府の直属ですよ!




元々の漁師から考えると、

すごい大出世で、

しかも、短期間ですね。




出世の理由は、

ペリーが黒船で現れるタイミングで、

各藩・幕府ともに、

我先にと外国の情報を欲している時代となり、

万次郎がそこにピッタリとハマったからです。




今でいうと、

AIを扱える人ですかね?




その後の万次郎は、

「日米修好通商条約」の通訳として、

なんとあの勝海舟や福沢諭吉と一緒に

鎖国政策の終焉の場に同席したり、

東京大学の前身である、

開成学校の教授になったりと、

順調に人生を歩み、

1898年、72歳でその生涯を閉じました。





現代では、




●小説

・1986年 新潮文庫 井伏鱒二

「さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記」




・1993年 小学館 有明夏夫

「誇るべき物語—小説・ジョン万次郎」




・1994年 集英社 宮永孝

「ジョン・マンと呼ばれた男—漂流民中浜万次郎の生涯」






●テレビドラマ

・1965年 毎日放送ドラマ アイ・ジョージ出演

「竜馬がゆく」




・1968年 NHK大河ドラマ 井川比佐志出演

「竜馬がゆく」




・1985年 TBSスペシャルドラマ 平田満出演

「幕末青春グラフィティ 福沢諭吉」




・1990年 NHK大河ドラマ 中西良太出演

「翔ぶが如く」




・1990年 日本テレビ年末時代劇スペシャル 篠塚勝出演

「勝海舟」




・1997年 TBSスペシャルドラマ 大滝秀治出演

「竜馬がゆく」




・2004年 テレビ東京新春ワイド時代劇 中村梅雀出演

「竜馬がゆく」




・2008年 NHK大河ドラマ 勝地涼出演

「篤姫」




・2010年 NHK大河ドラマ トータス松本出演

「龍馬伝」




・2018年 NHK大河ドラマ 劇団ひとり出演

「西郷どん」






最近ゲームでは、

・桃鉄


・モンスト

など、






数々の作品にも取り上げられています。

また、ジョン万次郎をもっと詳しく知りたい方は、

本だけでなく、マンガもありますので、

ぜひ、ご覧ください。




ジョン万次郎: 海をわたった開国の風雲児 (伝記を読もう)



日英対訳による ジョン万次郎の勇気と努力の物語



波乱に満ちておもしろい! ストーリーで楽しむ伝記 (4) ジョン万次郎



ネバー・ギブアップ ジョン万次郎 (KKロングセラーズ)



ジョン万次郎の英会話 (Jリサーチ出版)




そんなジョン万次郎が

残してくれた言葉とは?

調べてみました。

ぜひ、元気をいっぱいもらってください。




大河ドラマ!漂流記!桃鉄!モンスト!英語堪能!ジョン万次郎の名言

ジョン万次郎の名言を知り、心が晴れ晴れとしたイメージ写真



・人間は全て能力で用いられるべきだ



・私は、日本とアメリカの良さを両方知っている




ん~、心に響きますね。



 

<スポンサーリンク>

まとめ

ジョン万次郎の生涯と名言を知って心が晴れ晴れとしたイメージ写真



ジョン万次郎の人生は、

本当に波乱万丈でしたね。




貧しい漁師の家に生まれ、

しかも、9歳の時に父親を亡くし、

幼い頃から稼ぎに出なくてはいけない生活環境。




そういった理由もあり、

14歳で仲間とともに漁に出てるも

遭難し、漂流。




そして、143日間の無人島生活です。




ここを耐え抜いてからの奇跡の連続です。




アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の

ウイリアム・H・ホイットフィールド船長に、

助けられ、そして可愛がられ、

すごい努力を続けます。




英語だけでなく、

数学・測量・航海術・造船技術なども

熱心に勉強し、

なんと学校では、首席となるなど、

本当にすごい人でした。




その後、

お金を貯めて、仲間とともに、帰国。

帰国後は、

異例とも言えるスピード出世を果たし、

生涯を終えます。




ジョン万次郎の生き方は、

生まれた環境や今の状況などを

言い訳せずに、

自分の信念を持って、

自分の限界を決めずに、

努力し続ければ、

最後は必ずいい結果になることを

身をもって表現してくれ、

みんなに元気を与えてくれますね。




ちなみに、「ジョン万次郎」という名前は、

井伏 鱒二(いぶせ ますじ)が

1938年に直木賞を受賞した作品、

『ジョン萬次郎漂流記』で用いられたことにより、

世の中に広まっていったようで、

それ以前は、使われてなかったという

オチでした(笑)






上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。




次回は、


紙幣に!使節団がカミナリに酷似?子孫に驚き!岩倉具視の生涯と名言


という話を紹介します。

<スポンサーリンク>

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*