イケメン!森重航!スケート!オリンピック!人物像と獲得秘話に迫る

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スピードスケートをイメージした写真



2022年2月2日から、

「北京オリンピック」が始まり、





今回のオリンピックで

日本のスポートスケート界に、

彗星の如く現れ、

2月12日に行われ、



スピードスケート

男子500メートルの決勝で、

銅メダルを獲得した、

森重航選手がどんな人物で、

どんな生き方を歩んできたのか、





そして、

銅メダルの獲得秘話について、

迫りたいと思います。






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イケメン!森重航選手!出身・家族構成・中学・高校・大学・身長は?

雪が降る季節の北海道をイメージした写真



森重航選手は、

北海道別海町出身。





牧場を経営をする、

父、誠さん

母、俊恵さん

8人兄弟の末っ子として、

2000年7月17日生まれます。





森重家はスポーツ一家だったようで、

父、誠さんはラグビー選手して、

国体にも出場した経歴を持ち、

兄弟もラグビー、バレーボール、野球などで、

中学校や高校で、全国大会に出場。





そんな一家なので、

森重航選手も運動神経が抜群で、

小学校のときは、野球もやっていたようです。





小さい時から、

スケートが大好きだった森重航選手、

母、俊恵さんが森重航選手を全力でサポート。





その甲斐もあり、

地元の上風連中学校に進学後、

徐々に頭角を表していきます。













3年生のときに、

全国中学の男子500メートルの競技で、

中学新記録を樹立するだけでなく、

1000メートルでも優勝し、

2冠を獲得しました。





その後、地元を離れて、

山形中央高に進学。

高校3年生時の2018年に行われた、

全国高校選抜において、

500メートル、1000メートルで2冠を達成。





その後、

2019年専修大学に進学。





2021年12月に行われた、

ワードカップソルトレークシティー大会において、

500メートル初優勝。





ワールドカップランキング2位で、

良い状態のまま、北京五輪を迎え、

スピードスケート

男子500メートルの決勝で、

銅メダルを獲得しました。





ちなみに、

身長は175cm、体重は72キロ、

趣味は、漫画・球技とのことです。










イケメン!スケート!森重航選手!同メダル獲得の背景には母の愛と死

銅メダルをイメージした写真



小さい時から、

スケートが大好きだった森重航選手を支え続けた、

母、俊恵さん。





なんと、

片道1時間半も離れているリンクに日々送迎したり、

大会時は3時間半もかかるリンクへ送迎するなど、

森重航選手を全力でサポートしました。





そんな母、俊恵さんに病魔が襲いかかります。





森重航選手が小学校6年生のときに、

母、俊恵さんが乳がんを患います。

手術は無事に成功し、

体力が回復後は、

今まで同様も森重航選手の練習や遠征の送迎をしていたようです。













その後、先ほど紹介したように、

森重航選手が

地元の上風連中学校に進学後、



3年生のときに、

全国中学の男子500メートルの競技で、

中学新記録を樹立するだけでなく、

1000メートルでも優勝し、

2冠を獲得した際、



地元のヒーローとなった森重航選手のために、

中学の仲間が作ってくれた横断幕とともに、

父、誠さん

母、俊恵さん

森重航選手

親子3人で撮った記念撮影をとります。





実は、この写真が親子3人で撮った、

最期の写真となってしまうのです。













というのも、

森重航選手が高校3年の総体の

応援から戻った2019年1月に、

母、俊恵さんは再び体調を崩してしまうのです。





実は、父の誠さんは

お医者さんから、

実はガンが転移してしまっていて、

『もう長くない』。。。

ことを知らされていたようです。





ただ、

頑張っている、森重航選手に心配をかけさせまいと、

症状を伝えなかったため、

森重航選手が専修大学に入学する直前に、

重症化していることを知ることになるのです。





その後、

森重航選手は、

2019年4月、専修大学に入学します。







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学業とスケートの練習で忙しい毎日を過ごす日々のため、

故郷にはなかなか帰ることができませんでした。



が、





スケジュールが調整でき、

夏休みに帰ると

母、俊恵さんに伝えたところ、

『もう帰らないでいい。スケートを頑張りなさい』と

告げられたようです。





同年6月、

母、俊恵さんの体調がさらに悪化していきます。





それでも「森重航選手の誕生日までは生きたい」と

気力を振り絞ります。





母、俊恵さんはもう話すことができないほど、

症状が悪化していた、

森重航選手の19歳の誕生日である、7月17日、

父、誠さんが、「誕生日だから電話してみるか?」と聞くと、

母、俊恵さんうなずきます。










「ほら、航だぞ」と

森重航選手につながっている、

携帯を妻の俊恵さんの耳元にそっと当てます。





そのとき、

俊恵さんは、通話口に声を絞り出して、

言った一言が、

「スケート、がんばれ・・・」





苦しくて、

もうはっきりとは、しゃべれない状況から、

森重航選手は、

母、俊恵さんの命がそう長くないと悟ったのでしょう。





そして、4日後の7月21日、

母、俊恵さんは旅立って逝きました。





母が苦しいなかで、声を絞り出して言ってくれた一言、

「スケート、がんばれ・・・」

を、心に刻み、

苦しい練習にも耐え、

今回の銅メダルにつながっていったのです。





次回、

2026年冬季オリンピック in ミラノ&コルティナ・ダンペッツォ

での、活躍も期待しています。

頑張れ、森重航選手!

応援しています。










ココロが軽くなる!元気ももらえる!オリンピック出場選手たちの名言

森重航選手のこれまでの人生や頑張っている理由を知り、心が晴れ晴れとしている状態のイメージ写真



●ソフトボール  上野由岐子選手

2008年北京大会で金メダル獲得後、

答えた言葉



・最後は気持ちが強い人間が勝ちを取ることができるんだなって、

 つくづく実感しました



●陸上男子マラソン サムエル・ワンジル選手

日本で走りを学び、

2008年北京大会で金メダルを獲得後、

質問され、答えた言葉




・きつくても、がまんすること。がまん、がまん











ココロが軽くなる、歴史上の人物の名言からも元気をもらいましょう!

中村天風の考えや活動を知り心が晴れやかになるイメージ写真




松下幸之助!稲盛和夫!松岡修造!大谷翔平!影響を与える

中村天風



・心も身体も道具である。





上手くいってるときも、

ピンチでどうしたらいいんだろうとブルーなときも、

歴史の先輩から学ぶ。

先輩たちの人生を参考にしながら、

明日から、

いやいや今から

自分たちも理想的で素敵な人生を送るために、

自分のペースの明るく・楽しく・元気よく

で、過ごしていきましょう。




次回は、


世界水泳選手権2023福岡大会【注目選手と水泳・競泳選手の名言】


という話を紹介します。





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